12日目 インドでは、タクシーがあなたをつかまえる

今日はデリー観光に日である。朝起きてホテルで朝食のトーストを食べる。朝食の後はリクシャーでデリーの南にあるクトゥブ・ミナールに行く事にした。

ホテルから出てすぐの交差点にはサイクルリクシャーしかいなかったので、オートリクシャーを探しながら通りを歩くと後ろからリクシャーがやってきたので、呼び止めてさっそくクトゥブ・ミナールに行く事に。

リクシャーは本来3人乗りなので、4人で乗るのはなかなか辛い。しかもデリーのリクシャーは運転席の隣に座席がなく、乗れない。1人が他の2人の膝の上に座るようにして乗る。デリーの混雑した道を30分ぐらい行くとクトゥブ・ミナールに着いた。

クトゥブ・ミナールは観光地であるが、現地人と外国人では数十倍もの入場料の違いがある。外国人旅行者からたっぷりお金を搾り取ろうということであろう。仕方なく高額の入場チケットを買ってゲートを通る。

クトゥブ・ミナールは石造りの遺跡で、昔の帝国が建造した塔やら石壁やらがある。その中には純鉄でできた鉄柱があり、建造以来錆びることなくデリーの空の下立っているという。なかなか面白い代物である。見た目はただの鉄柱なのだが。その他砂岩でできたような様々な建造物が立っていた。なんとなく散歩しながら写真に撮って歩く。

1500年経っても錆びない鉄柱

クトゥブ・ミナールを一通りまわったら、次はフマユーン廟に行ってみようということになった。クトゥブ・ミナールを出ると、いつものようにたちまちリクシャーの運転手のおっさんが3人くらいやってきて、どこに行くのかと聞いてくる。ふっかけられそうだったので、おっさんたちを振りきってしばらく歩き、道路脇に停まっていたリクシャーのやる気の無さそうな運転手に頼むことになった。

また小さなリクシャーに4人乗り込み、フマユーン廟に向かう。インドでは、リクシャーに乗っている途中に渋滞に引っかかって止まっているだけで様々な人がやってくる。リクシャーの客にバクテンを見せてからお金をねだる子供、車椅子に乗って手をだしてくる物乞い、果物売りなどである。相手にしていると疲れるが、のんびり見るだけならなかなか面白い。

そんなこんながありながら、フマユーン廟に到着。フマユーン廟に入る前に昼飯を食べることになった。ガイドブックの地図に載っているレストランを探したが、見当たらないので近くの路地に入っていく。ここはムスリム地区のようで、みな白い帽子を被っていた。観光客は普通こんなところまで入り込まないだろうな、と思っていると、なにか食べれそうなレストランがあったので入ってみることに。やたら体格のいいインド人(この人もムスリムであろう)の店員が奥の席へ案内してくれた。

その店は串焼きやらの肉料理を出していて、メインメニューは牛肉であった。なるほど、イスラム教なら牛肉も普通に食べれるのである。僕はマトンの串焼きとチキンチッカ、ローティ(薄いパンのようなもの)を注文した。出てきたマトンはかなりしょっぱく味付けされていて、何の肉かわからないくらいであった。だが肉についている玉ねぎのスライスとローティにはよく合う。ローティは5ルピーだったので2枚目も注文した。マトンを食べ終わったころに出てきたチキンチッカは、鶏肉に香辛料をつけて焼いたものであった。これもしょっぱいがローティにはよく合う。

マトンの串焼き。串焼きには見えない

レストランから出てフマユーン廟に向かう。ここも外国人観光客にはやたら高い金額を払わせる観光地であった。チケットを買って中に入ると、タージマハルと同じく、玉ねぎの形をした屋根で左右対称な建物が見えてきた。タージマハルは白大理石であったが、フマユーン廟は白だけでなく他の色の石も使っているようであった。

タージマハルと同じく、お墓なのでひと通り見て廻るともう飽きてしまった。ほどほどに写真を撮った後、外国人観光客とインド人の団体がフマユーン廟の前に広がる庭園をぞろぞろ歩いているのを見ながら、ぼんやりと考え事をしていたら動く気力がなくなってきた。その後はラールキラーに向かうことにする。ラールキラーから戻ってきたらちょうど日が暮れることだろう。ラールキラーが最後に訪れる観光地だ。

フマユーン廟。左右対称。

フマユーン廟から出てきたらまたも数人のリクシャーのおっさんに捕まった。だいたいこういう観光地や駅で待ち構えてるリクシャーやタクシーはうさんくさい。いくらか交渉して、うさんくさいので立ち去ろうとすると「おー、まい、ふれんど」とか言ってきた。その言葉を発するだけでさらに怪しい人間に思われる。他に信用度を下げる言葉として「のー、まねー」というのもある。これらの言葉は「とらすと・みー」くらい信用できない。まあなんだかんだでそのおっさんにラールキラーへ連れて行ってもらうことになった。

ラールキラーに到着し、構内に入るとやたらでかい城壁が見えてきた。青空の下、傾いた日差しの中で真っ赤に光っている。すっげえ、と思いつつまたバカ高いチケットを買って中に入る。やたら高い城門をくぐるとみやげ屋がいっぱいならんでいた。これらのみやげ屋を横目に見つつ、進んでいくとムガル帝国の宮殿とやらが見えてきた。シャー・ジャハーンの謁見の間である。ものものしい建物のなかに玉座らしきものが設置されており、その前には緑の芝生が広がっていた。へー、なんか歴史のある建物なんだな、と思って謁見の間の裏手に行くと、雨に汚れてあちこち黒く変色した建物の裏が見えてきた。観光地なのだから少しはもっともらしく見せればいいのに、裏だけ見ればただの廃工場のようである。まあ実際廃墟なわけだが。

謁見の間の先は芝生が広がっており、観光客で賑わっていた。宮殿の跡もいくつかあったが、アーグラー・フォートのほうが見応えがあったな、と思ってしまった。何回もインド建築をみていると「ふーん」という感想しかわかなくなってしまった。インド建築が悪いのではない。日本でも、自分は1日で何回も寺巡りをしたら飽きてしまうような性格なのだ。そして、ラールキラーの一番の見所は外側から見える巨大な城壁だな、と自分で結論をつけた。

ラールキラーから出て、メインバザールの近くにあるメトロ駅まで向かうことにした。リクシャーを探していると、さっそく数人の男に囲まれた。インドではタクシー(リクシャー)をつかまえるのにまったく苦労しない。むしろこちらが捕まえられた気分である。日本ではあなたはタクシーをつかまえるが、インドではタクシーがあなたをつかまえるのだ。結局、何回目かに話しかけた運転手にメインバザール近くのメトロ駅まで乗せてもらう。

メインバザールに着くと、インドでの最後の晩餐ということで、少し贅沢しようという事になった。ガイドブックに載っているちょっと高級そうなレストランに行く。メニューを開くとカレー1皿300〜400ルピーであった。なかなか高い。今まで利用してきたレストランでは、1皿数十ルピーであったのに。

しかし最後の贅沢である。それに高級レストランといっても日本円にしてみれば大したことはない。やたら身なりのいいボーイに拙い英語で注文をした。しばらくしてマトンカレーが出てくる。

ところで、インドと言えばカレーであるが、インドではカレーという呼び方はあまりしないようだ。カレーをスパイスを用いた煮込み料理と定義するなら、インドではおかずのほとんどをカレーと呼ばなければならない。米やナン、チャパティとあわせて食べるのはこれらの煮込み料理であるからだ。もっとも、これらの煮込み料理の種類は僕ら外国人には把握できないほど多くの種類があるようだ。外国人が入るような店だと、インドカレーと書かれた項目があり、そこにずらっといろいろな料理名が並んでいることもある。でも普通は、カレーとメニューに書いてあるようなことはない。

それはともかく、出てきたマトンカレーはなかなか美味しかった。値段相応なのかはともかく、日本では食べれないような味であることは確かだ。インド最後の夕飯を味わって食べる。ただ日本人の僕にはインディカ米の白飯はどうもしっくりこない。手で食べる場合、粘りのないインディカ米のほうがカレーとよく混ざり合って相性がいい、という話を本で読んだことがあるが、スプーンで食べる場合はどうなのだろう。日本のご飯にこのカレーをかけて食べてみたいものである。

最後の晩餐。上品そうな食器が並んでいる。

このレストランで贅沢した後は、ホテルに戻って寝ることにした。今日は外の通りでお祭り騒ぎもやっていないようだ。もっとも、ひっきりなしにクラクションは聞こえるが、もはや気にならない。インドでの最後の夜は快適なものだった。

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