4日目 これがタージマハルか、大したことないな

日の出前にホテルを出発する。タージマハルを朝日とともに見るのだ。ホテルを出てタージマハルの門まで行き、近くのチケット売り場にたどり着く。このチケットはかなり高めだった。タージマハルへの入場ゲートはまだ開いておらず、列にならんで開門を待った。列は4つに分かれており、インド人か外国人かで分かれ、さらに性別で分けられている。我々は外国人男性の列へ柵を越えつつ辿り着き、しばらく待つことに。

日の出が近づき、空が明るくなってきてもまだ開かない門にイライラしつつ、数10分待つとようやく門が開いた。列が進み始め、それについていくとセキュリティチェックがあった。金属探知機をくぐり、ポケットの中身まで調べられた。また、バックも検査装置を通され、また係員に中まで調べられた。僕は幸いにして何も引っかからなかったが、引っかかったら門の外にある預かり所に預けてこなければならない。2年Mはプラスチック製のスプーンが、1年Iは電子辞書が引っかかったらしい。何が問題なのかよくわからない。セキュリティチェックを通り、2人が預かり所に行っている間に空はすっかり白くなってしまっていた。

タージマハル西門の様子

2人が戻ってきた後、やっとのことでタージマハルの建物があるところへ向かう。城壁で白いあのタージマハルは見えなかったが、歩いて城門をくぐると青空の下純白のタージマハルが浮かび上がった。うんうん、たしかに綺麗だ。真っ白で完全に左右対称である。後輩は「立体感がない」と評していた。たしかに、あまりに左右対称で真っ白だと遠近感がなく、遠くから見ると押したら倒れそうなハリボテに見えた。しかし遠くから眺めているだけではしょうがない。近くから見るためにタージマハルに歩いて近づいていく。タージマハルの近くには靴の預かり所があったので靴を預ける。タージマハルのそばには靴で行っては行けないのだ。

正面から撮影したタージマハル
朝から大勢の観光客がいる。日本人観光客ももちろんいた

さて、近づいてみるとタージマハルは巨大な建造物であることがわかる。白い大理石で造られたアーチが青空の下で光っている。そして、アーチの下から観光客がタージマハルの中に出入りしていた。せっかくなので自分も中に入ってみることにする。

中に入ると写真撮影は禁止だった。順路に従い、中央部に安置されている棺のようなものの周りをグルグルまわった後、そのまま外周にある部屋をまわる。あまりにも対称性が高いので、自分がどこの部屋にいるのかわからなくなり、どこの部屋も似たようなものに思えてきた。なので、入ってから数分で飽きてしまう。これならアーグラー城のほうが楽しい。順路に従っていたらいつの間にか外に出た。もう一度タージマハルを見上げる。隙間なく敷き詰められた大理石を見ると、昔にこんな技術があったのか、と関心させられる。しかし、異常な対称性と統一された色は、ずっと見ていると気分が悪くなりそうだ。確かにタージマハルは美しい建造物だけど、何回も見るものではないな、と思うのだ。

入場門の方に、カメラで写真を撮りながら戻る途中、1人のインド人のおっさんがやってきて、カメラを貸してくれ、と言ってきた。写真を撮ってあげてチップをもらう商売なのだろう。3枚撮ってもらったら以外と出来がよかったので、10ルピーを渡す。その後は近くにあったタージマハルに関する展示室を見て回り、ホテルに戻った。

戻った後は、昼飯をホテルの近くにあったレストランで食べる。サンドイッチを食べたらリクシャーでイードガー・バススタンドに向かう。このバススタンドからファティープル・スィークリー行きのバスが出ているのだ。ファティープル・スィークリーはアーグラー近郊にある観光地であり、世界遺産である。

さて、リクシャーでバススタンドに着いたのはいいのだが、このバススタンドは思ったより広く、いつどこにファティープル・スィークリー行きのバスが来るのかがわからない。案内所のおっさんは待合室の前あたりにバスがすぐに到着すると言っていたが、タクシーの運転手は、バスは2時間遅れている、と主張してきた。結局、親切な旅行者が「バスは遅れてないよ。もうすぐ来る」と言っていたのでそれを信じると、10分くらいでバスがやって来て、ファティープル・スィークリー行きだとアナウンスしてきた。タクシーの運転手は嘘つきであった。これだからインド人が信用できなくなる。というより信用してはならないのだ。

バスに乗車すると中は満員になっており、乗車口のそばに立って乗ることになった。発車してしばらくすると、そばにいた子連れの母親が、僕をつっついて「あっち行け」というジェスチャーをした。どいてみるとその母親はおもむろに走行中のバスの乗車口のドアを開け、そのそばに子供たちを座らせたのだ。どうやら外の景色を子供たちに見せたいようだ。転げ落ちたら即地面に転落である。このドアは誰でも簡単に開けることができる手動のドアで、走行中に開けてもバスの車掌は何も言わなかった。さすがインドである。日本でこんなことが起きたら、全国ニュースになり、バス会社の社長が頭を下げ、週刊誌に暴露記事が載ることになるだろう。

満員のバスに乗って疲れきったままファティープル・スィークリーに到着する。バスが停まったバス停からファティープル・スィークリーに向かう路地に入り、歩いて行くのだが、街中の路地をいくら歩いても観光地らしきところにたどり着かない。いくら歩いてもインドの日常風景が見られるだけである。道のそばに座っていた老人に道を聞こうとしたが、その老人は英語がわからないらしく、ジェスチャーで会話した。その結果、我々は曲がるべき道を通り過ぎていたらしいことがわかった。その後歩いてバススタンドに戻ると、怪しげなおっさんが、「金はいらないから案内させろ」と言ってきた。結局その人についていくと、路地の曲がり道を教えてくれ、ファティープル・スィークリーの城門まで案内してくれた。しかし、その人はまだガイドを続け、古代の都ファティープル・スィークリーの内部を案内してくれた。

ファティープル・スィークリーの内部にはやたら物売りがいて、そのうちに首飾り売りにつきまとわれた。その首飾りは石が針金でつながれたような品物だった。彼の言い値がやたら安かったので、お土産に欲しくなった。そこで6つ欲しいと言うと、彼は先ほどの言い値の数字の後に「ドル」をつけてきた。品物の値段の単位はルピーじゃなくてドルだよ、と言ってきたのである。なるほど、最初に値段を言った時には彼は数字だけで、単位は言っていなかった。1米ドルと1ルピーの価値は50倍くらいの開きがある。とんだボッタクリである。

このような交渉を歩きながらする。いくら、「ノー」と言ってもついてくるので逆に面白くなってきた。このおっさんはどこまでついてくるのだろうか。

おっさんを無視しつつ、怪しげなガイドに連れられてあちこち見て回る。まあそれはそれで面白かった。しかしずっとガイドされていて、我々から離れようとしなかった。そして、彼の言う「見どころ」を何個かまわった後、ファティープル・スィークリーの中で店を広げている石細工の店に連れて行かれた。なるほど、最初からこれが目的だったのか。結局、カメとカエルの置物はなんとなく欲しくなったので買うことにした。いくらか交渉すると、手のひらサイズの大理石細工が2つで1400ルピーになった。1個1200円くらいである。日本での感覚だとちょっと高め、というところか。もちろん原価はもっと安いのだろう。1年Sも何か買っていた。あとの2人は上手く逃げたようだ。

大理石細工を買った後も同じ首飾り売りにつきまとわれ、何度も「ノー」と言っているうちに、ついに価格が10分の1になった。6個で100ドルが9ドルになったのである。まあこのくらいならいいか、と思って買ってやることにする。9ドル渡して6個受け取ると、もう1個1ドルで買わないか、と言ってきた。9ドルを返してもらい、10ドル札を受け取って首飾りをもう1個もらう。この9ドル返してもらった時、彼はまず僕に6ドルを渡し、僕が札の数を数え始めると残りの3ドルを渡してきた。最初のボッタクリ値段といい、単位のごまかしといい、まったくもっていやな商売人である。

ファティープル・スィークリーをいくらかまわったら疲れきってしまった。入場料がかかるところには入らないことにし、帰るためにバス停まで戻る。帰り道もさっきのガイドらしき人が案内してくれた。その後彼は、「チップが欲しい」と言ってきた。さっきは「のーまねー、金とらないよ」と言っておきながら、この態度である。さらにルピーではなくドルを要求してきた。あつかましいにもほどがある。やはり我々とインド人ではモラルの観点が違うのだ。そのおっさんには結局2ドル渡した。

ファティープル・スィークリーからみえる周辺の景色

バス停前のレストランで一服したあと、トイレを済ませにトイレに行く。トイレはチップ係のいる有料トイレであった。チップは50ルピー。用を済ませて出ると、チップ係のおっさんが水のはいった壺を持ってきて、手をその水で洗う。その後おっさんは「ティース」と言ってきたので、わけがわからず首をかしげていると、しょうがないな、という顔をしてそのまま行かせてくれた。いったいどういう意味だったのだろう。

その後バスに乗ってアーグラーに戻る。今回は座席に座れたので、寝て体力を回復させることができた。その後はリクシャーでホテルまで戻る。ホテルに荷物を預けたままだったので、回収しなくてはならない。ホテルのレストランでアーグラーの夕暮れをみながら夕食を食べる。夕食を食べた後は、タクシーでアーグラー近郊にあるTundra駅まで行く手筈になっているのだ。

夕食を食べた後、タクシーが迎えに来るというホテルの前まで移動する。もう日が暮れて、夜になっているので心細い。インドでは夜間も通りにわりと人がいるので、待ち合わせ中にも物売りやらがやって来る。そのうちタクシーを予約した旅行会社の関係者がやってきて、ホテルのレストラン内に案内され、そこで待つことになった。1時間くらいだらだらしていたら運転手が到着。TATA製の車に乗せてもらう。1時間弱でTundra駅に到着した。

次の問題は列車に乗って、自分の座席を見つけることである。チケットの座席の1つがウェイティングリストになっていたので、座席に割り当てられているかどうか駅にあるタッチパネルを操作して調べたが、どうも座席の割り当てがなされていないようだった。駅員に聞いてまわったりしていると、赤い服を着たじいさんがやってきて、「問題ない、乗れる」と言ってくれた。結局そのじいさんの案内通りにプラットフォームでそのまま待つことにする。最初は気が付かなかったが、どうやらそのじいさんは乗客の荷物を運んだり、座席を確保してくれるポーターさんであった。

我々の乗る列車は遅れに遅れ、1時間以上遅れてようやくやってきた。チケットをポーターのじいさんに見せるとその座席まで案内してくれた。チップを渡すと駅に戻っていった。今回はあのポーターのおかげで列車に乗ることができた。ポーターさまさまである。

ウェイティング・リストは結局そのままだったので、1人用の寝台に2人が座って寝ることになった。こんなこともあろうかと思って持ってきた寝袋を出し、座りながら寝袋にくるまる。隣の寝台は欧米人の旅行者グループが楽しげに会話をしていた。そのうち車掌がやってきてチケットを見せると、何も言われず無事チェックされて返された。その後明かりを消し、座ったまま寝る。外国で乗る初めての寝台列車が座り寝とは情けないが、疲れきっていたせいか、あっという間に寝てしまった。

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