2日目 ゴミの山。クソの山。人の山。

デリーに到着したのは深夜であった。飛行機を降りるとねっとりとした臭いの空気に歓迎を受ける。いい香りではなく、気分が悪くなるような臭いでもない。インドにひしめく人間やら動物やらが発した臭いが混ざり合ってできたような、イキモノの臭いである。

デリー空港は小奇麗な建物で、床には絨毯がしかれていた。適当に入国カードを記入し、ビザ付きのパスポートと一緒に入国審査官に提出する。無愛想にスタンプを押してもらい、なんの質問もなく通過。預け荷物を回収して税関を通過。税関は係員が検査装置の隣に座っているだけで、なんの質問もされず通過した。

あとは現地の旅行会社、Sトラベル(仮称)に頼んである迎えのタクシードライバが来るのを待つだけである。デリーの空港に着いてからホテルに辿り着くまでにトラブルに遭うことが多いらしいので、空港からホテルまで直行で行けるよう車を手配しておいたのだ。迎えは夜明けの後、7時にやってくるので、それまで空港の到着ロビーで仮眠ととることにした。5000円ほどルピーに両替し、そこらへんの食い物屋で朝飯を買う。朝飯はサンドイッチのようなもので、若干スパイスが入っている。インドで食べた初めての食事であった。

インドでの初めての食事

さて、7時になったが一向に迎えが現れない。到着ロビーには他の旅行会社が多数迎えにでており、名前を書いた紙をもって立っているのだがその中に見当たらない。仕方がないのでもう30分待つことにすると、20分ぐらい経ってロビーの外に、僕の名前を書いて立っている人がいる、と1年Sが報告してくれた。旅行会社からのメールにはロビーの中が待合場所とあったのだが。飛行機の到着客以外は到着ロビーに入るのに金がかかるので、その金をケチったのか、上からの指示がちゃんと通っていなかったのかわからないが、それらしい迎えがロビーの外にいるらしい。結局外に出ることにし、4人で出てみるとその迎えらしき人は日本から頼んでいた送迎の担当だとわかった。彼は待合場所は外だったと言っていた。まあ見つかったのだから深くは詮索しないことにし、空港の駐車場に停めてあった彼の車に乗り込み、ホテルに向かう。

ホテルへ向かう途中に車から見る光景は、初めてインドに来た人間には十分刺激のあるものだった。台湾では原付の多さに驚いたが、デリーの道路はリクシャーで溢れかえり、交通戦争という言葉がしっくり当てはまるような惨状である。この国ではクラクションは道路上での重要なコミュニケーションの手段であり、ひっきりなしにクラクションの音が聞こえてくる。途中運転手との英語によるちぐはぐな会話を交わしつつ、日本から予約していたホテルに到着した。

ホテルは2車線の通りに面して建っており、玄関から入るとすぐに狭いフロントがあった。予約確認書を見せ、パスポートを示し、やたらデカくて分厚い宿帳にサインをすると、部屋に通してくれた。4人で2部屋である。部屋は日本の簡素なホテルクラスといったところか。あと、男2人なのにベッドは大きいのが1つであった。台湾でもだいたい大きいベッドは2人換算だったので、これは予想の範囲内だった。実際、こんな時のために僕は寝袋を持ってきていた。しかし、普段テント内の狭い空間で寝ることに慣れている我々はまだしも、初めて海外旅行をして2人部屋を頼んだ人はどのような反応をするのだろうか。

まあとにかく、日本円をルピーに変えてからどこかに昼飯を食いに行こうという事になり、下のロビーで銀行の場所を聞いたところ、フロントで換金してくれることになった。この待ち時間の間、我々は椅子に座って待っていたのだが、フロントのソファーが3人用であり、1年Sだけ奥の部屋の椅子を勧められた。どうやら、1人でいるときに1年Iがアーグラーまでのツアーを勧められていたらしく、話が複雑なことになっていた。我々は次の日に列車でアーグラーに行くつもりだったが、フロントの人はタクシーのほうが安全で便利だといってきたのである。なんだかんだでこの話は1時間弱も続いた。結局、アーグラーで別の旅行会社のタクシーを予約してあるのだ、と言って断り、昼飯を食べに出かける。

ホテルを出てデリーの中心的商業地区であるコンノートプレイスに出かける。途中話しかけてくる人を無視しつつ、舗装されておらず歩きにくい道を行く。あちこちにゴミが散乱し、牛のウンコが道路に転がっている。通りにはウジャウジャと人間がいる。そこにオートリキシャー、サイクルリクシャー、荷台で荷物を運んでいる人、そして普通の乗用車が混じっているのだから賑やかというより混沌とした通りである。

コンノートプレイスはわっか状の道路の街で、円形にぐるぐるまわって商店を探すことになる。ぐるぐるまわってやっと昼飯が食べられそうなレストランを見つけ、中にはいるがそれからが難関であった。レジの人から食券を購入する形式なのだが、拙い英語で頼むとムッとした顔でメニューを渡された。もう一回指さしながら頼み、なんとか食券をもらうが、それをいくつかあるカウンターのどこに出すのかがわからない。右往左往した後、自分が頼んだパスタを出すカウンターを見つけ、ようやく飯にありつけた時は疲れ切っていた。

その後はひたすらコンノートプレイスをぐるぐるまわる。途中で天文台(ジャンダル・マンタル)という観光地に金を出して入り、街中とは違う静かさを楽しむ。みんななかなか疲れているようだった。

ジャンダル・マンタル。昔の天文台らしい

コンノートプレイス近くのレストランで夕飯を食べる。ご飯と主菜(いろいろな料理があるが、日本人から見たらみんなナントカカレーである)、やたら辛かった。翌日の朝がつらくなるかもしれない、と思いつつ食べる。確かに辛いけど、なんだかんだで美味いのだ。

夕飯の後ホテルに戻り、お湯の出ないシャワーを浴びた後に、フロントで翌日の朝食と、駅へのタクシーの手配を頼み、ベッドで寝る。インド最初の日は疲れ切ってあっという間に寝てしまった。

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