第36回全日本大学駅伝対校選手権大会
11月7日(日) 熱田神宮〜伊勢神宮
<総合結果> <区間結果> <スピードランキング> <寸評> <選手感想>
メンバーエントリーは13人。予選会の11人+河合で12人を決定した。残る1人は船橋(3年)、酒井(1年)が争っていたが、秋季個人選手権で二人とも調子が悪く16分が切れなかった。前の組で15分53秒を出した古川(1年)が最後の一人に滑り込んだ。
気候も徐々に涼しくなり、走りやすい。取材も度々あって、全日本への雰囲気が盛り上がる。全体的にうまく仕上がってきている手応えがあった。大きな故障や風邪もない。ただ大幅な記録の伸びがなく、各地区の結果を見れば、最下位まで覚悟しなければならない状況だった。
メンバー構成は、まず1区中村、アンカー内藤を決定。そして2区は名大3番手の伊藤を固定した。4区は稲垣を使いたかったが、調子があがらない。距離が長いだけに早々にあきらめ、1年生の藤永を起用することにした。秋季個人選手権や一橋戦の結果、および練習内容から3区森本、6区稲垣、5区小泉、7区木村の順で区間配置が決まっていった。本田はスピードがあり記録もよかったのだが、練習終盤でアクシデントが数回発生し、選手の座を手放してしまった。狭間、河合、渡辺は選手選考の記録会が秋季や一橋の5000m中心になった点で不利だった。補欠に甘んじなければならない状況だった。
全日本の4日前の練習(6000m+4000m)で、小泉が風邪の影響で選手の集団から遅れてしまった。狭間、本田は途中でリタイアし、河合も遅れてしまった。補欠の中で付いていくことができていたのが渡辺伸だけだった。最後まで選手の座をあきらめないで狙って集中して練習できており、その場で5区の小泉と補欠の渡辺を入れ替えた。
試走も3回行った。私と、嘉賀、井上、そしてOBの河端の協力もあって、じっくり行うことができた。コースに対する不安は、ほとんどなかったと思う。
持ちタイムがないのが不安だが、仕上がりはよかったので、楽しみの方が大きかった。関東11校と、京産大、立命館大、徳山大、広経大、第一工大の計16校とは実力差がありすぎる。他地区の大学の状況はよくわからない。四日市大は予選会で8分負けたが、内藤と中村は尾崎、玉村に負けない。伊藤、藤永、森本、そして状態がよい時の稲垣なら対等に戦える。目標を打倒四日市に決めた。東北大は意識しないわけにはいかないが、四日市に勝てれば東北に負けはしないと思っていた。
試合前々日の金曜日に私が風邪をひいてしまった。10月最初にひいたと思ったのは実は花粉症だった。注意はしていたのだが、家族からうつされてしまった。熱がありのども痛い。絶対に選手にうつしてはダメで、最終調整も離れて見ていた。全体的に少し速めの走りだったが、仕上がりは悪くないという自信があった。こうして当日を迎えた。
1区 中村高洋
期待7割、不安3割で送り出した。いつもなら6時には熱田神宮に行くのだが、今回は風邪菌を名大にばらまかないよう、到着したのは7時をすぎていた。スタート地点には早川を始め、懐かしいOBもたくさん集まってくれて嬉しくなった。中村は別段緊張した様子もなく何とかなるだろう。中村がまったく通用しないのなら、それはそれで全国の壁なのだから仕方ない。
向山の抽選で前列の一番左よりが中村のスタートポジション。おきまり通り飛び跳ねるように先頭に立って引っ張っていった。そして集団から少し離れて左端を元気に走って行った。私の体調がよくないので、河合にも監督車に乗ってもらった。そして私の意向を各区間に伝える手助けをしてもらった。
監督車に乗って映像を見ていて驚いた。2km手前でもう中村が一人ポツンと集団から離されている。ブレーキか?やはり通用しないのか?緊張で舞い上がって走れないのか?胸はバクバクだった。監督車は4kmのランプウエイをあがって5kmで選手を待つ。1km3分弱のイーブンペースで大集団が通り過ぎる。2〜3名遅れて通り、中村だけが40m離されて通過する。しかし表情は悪くない。『こうよう! 大丈夫か?』と大声で叫ぶと、なんと左手ガッツポーズが返ってきてほっとした。7kmでも同様のガッツポーズで反応し、1区の滑り出しはうまくいくことが確信できた。
他大学は関東以外はエースが走っており、そう大きなブレーキはない。中村はペースを守って力を出し切り、順位は悪かった(22位)ものの、先頭との差を2分以内にとどめた。記録は3年前の内藤と1秒しか変わらなかった。四日市大との差を10秒、東北大との差を1分10秒に押さえて走り好走した。
2区 伊藤潤一
関東以外の大学は、この区間は2番手か3番手が走る。伊藤の持ちタイムでは荷が重い。しかし四日市大との差10秒で背中がよく見える位置で襷をもらって走ることができたのはよかった。実生活ではかなりの”ビビリ”らしい?伊藤だが、今大会ではいい方の緊張感にあふれていた。
入りの1kmは押さえた。四日市との差が20秒強に広がったが、あわてなかった。着実に走ればいいと落ち着いていた。4km過ぎから四日市大との差がまったく開かなくなり、伊藤も走れるという自信が出てきた。じわじわ縮めてきたが、なかなか射程距離に入れることができない。さらに中間点をすぎて福岡大学に抜かれ、付いていくことができなかった。しかし落胆することなく前をしっかり見据えて、四日市大との差を本当に少しずつ詰めていった。
結果は好走というか粘走がぴったりで、よく頑張った。四日市との差は13秒。東北大との差が53秒になった。さすがに2区を走るランナーは実力がある。記録的にこの区間で先頭との差を5分37秒まで開けられて、白襷がちらついてきた。
3区 森本一広
この区間は森本でいく。しかし予選会のように乱調なままなら本田を考えていた。秋に入ってからの記録は本田も見劣りしない。しかし森本の実力とスピードには魅力がある。全国レベルの大会は初めての森本だったが、自分のペースを守って走ればいいからと送り出した。
出だしから自分のペースを守り通した。1区2区と同様に最初の3kmまでは四日市大に差を広げられるが、中盤あたりから、四日市大のペースが落ちてきて徐々に詰まるという繰り返しだった。
少し消極的なレースに見えたが、後半もほとんどペースダウンしなかった。結局もらった時とほとんど同じ差で 4区の藤永に渡した。四日市大との差が10秒ちょうど。順位は23位のままで後ろには2校しかいないが、前方には手の届くところに数校いる。いい展開だ。ただ東北大学は私の予想以上に強く、この区間では逆に21秒広げられトータル1分14秒差と視界にとらえることができない。しかも先頭駒沢との差が7分17秒。森本は区間だけでは2分以内に押さえたが、4区終了時点での繰り上げを覚悟した。5区の渡辺に繰り上げになることを電話で伝えた。
4区 藤永紘基
稲垣に替えて1年生の藤永を起用した。私には少し自信があった。期待の方が大きかった。無口で虚勢を張るところがなく、何よりも走ることが大好きなランナーだ。ただ1年生だし緊張して走れなくなるのが恐かった。嘉賀も同意見だったので嘉賀に付き添ってもらって少しでもリラックスさせるつもりだった。
まったく普段と変わらず落ち着いていたそうで、冷静に襷をもらって走り始めた。逆に四日市大は軽いブレーキ続きで、やはり4区も焦って飛び出していった。14kmと長丁場だし不安も大きい。しかし藤永はうまく走った。前半は四日市大に離されていたが、監督車が止まった8km地点では元気に通り抜けていき、その差もまた10秒に戻っていた。予想以上の暑さだったので、その地点でも監察車から給水のボトルをすべてのランナーに手渡していた。大きな声で『藤永!給水を取ってかけろ!』といったが、まったく無視していった。
10km地点でも設置してあった給水を取らなかった。リズムが崩れるのが嫌なのか、暑さを感じなかったのか私にはわからない。高洋と藤永の頭の中は、私には理解できないことが多くて戸惑う。とりあえずその地点では四日市大に追いつく勢いがあったので、『必ず追いついてこいよ』と激励できた。
結果、区間順位は22位で、絶賛するほどではない。しかし四日市大を追い抜いて2秒差を付けて22位にあがった点は評価できる。1年生ということも考えれば実力をうまく出し切ったとほめてやりたい。
先頭は速い。この区間だけで4分40秒も負けて中継点に飛び込んだときには5区は繰り上げスタートした後だった。1分55秒オーバーしていた。東北はここも強く4区終了で2分27秒差まで広げられた。
5区 渡辺伸元
ここは小泉を起用するつもりで3回の試走は小泉中心で組んでいた、しかし最終週に入って風邪をひいてしまい走れなかった。駅伝は意欲や技術でカバーできる部分は少ない。体調がよくなければダメだ。酷なようだったが、最後に渡辺と選手変更した。医学部5年生で非常に忙しい生活の中で最後まで補欠として走れる体調をつくっていた渡辺にチャンスが回った。
実習の疲労が抜けているか心配だったが、最終調整終了後も表情は明るく、調子はいいですと楽しそうだった。プレッシャーは予選会の方が数倍ある。絶対に繰り上げになるから、付いていってその中でトップを目指せと激励した。7校が繰り上げしていった。中間点あたりで監督車が止まる。急いで降りて渡辺が来るのを待つ。予選会の時よりは安心して見ることができた。繰り上げ出発の白襷を掛けた集団がやってきた。ちゃんと渡辺も入っておりまだ余裕がありそうでブレーキの心配はなくなった。しかも前を走る東北大(繰り上げではない)とは数秒ではあるが詰めており、四日市大は繰り上げの集団から少し後れて苦しそうだった。7km過ぎで少し揺さぶりがあり、渡辺も離されたが、四日市大も遅れ始めた。苦しくなっていたが最後1kmあたりから、岸上、浩平、(荒俣?)などの応援姿にも力づけられいい走りを最後まですることができた。
結局中継点には22番目に(繰り上げを計算すれば21位)飛び込んだ。この時点で四日市大に36秒の差を付けていた。6、7、8の3区間は、私に自信があったので、当初の第一目標だった四日市大に勝つことはできたと確信した。しかし東北はやはり強く、まだ差が2分10秒もあり微妙だ。6区7区で30秒ずつ合計1分差まで詰めることができれば、内藤で逆転ができると考えていた。
実際ここまで5区間は、ほぼ満点に近いレースができた。順位が悪いのは他大学も主力に近いからでしかたない。不安の大きかったここまでで大差を付けられていない。これで終盤逆転できる手応えがあった。
6区 稲垣真太郎
ここは2区、4区候補から流れてきた稲垣を起用した。14分台にまでは戻っていないが、予選会の時よりはいい。他校のランナーはさほど強いのが残っているはずもないので、この区間で四日市大との差を1分に広げる。そして東北大との差を一気に詰めて欲しいと願っていた。
気温はかなり高くなり、暑さに弱い稲垣はゆっくりと出ていったらしい。5区と同様中間点あたりで降りて待っていた。表情にはまだ余裕はあるものの快調という足取りではない。走りに覇気が感じられなかった。前を行く東北大の姿(繰り上げがあるので実際には2分以上あるが、目の前100mに姿が見えていた)を追うどころか逆に少し離されていたし、すぐ後ろまで四日市大に迫られていた。『稲垣が頑張らなくてどうする!東北を追いかけろ!』と声を張り上げたが、やはり絶好調ではない稲垣の反応は鈍かった。
結局区間順位20位で悪くはなかったが、四日市大には6秒差まで迫られ、東北大との差も5秒詰めることしかできなかった。東北大との差が2分05秒と7区の快走がなければかなり苦しい。稲垣が中継点にたどり着いたときには、すでに木村は繰り上げスタートしていた。
本人はまずまずうまくまとめたと思っているだろうが、私の期待は大きかっただけに残念な走りだった。。
7区 木村孝貴
6区が終わった時点で監督車はコースから外れてゴール地点の伊勢神宮に向かった。7区8区の木村、内藤は監督車からまったく見ることができなかった。内藤がスタートしたときに、四日市大と、東北大との正確な差を頭に入れて走らせたいので、アンカーの3?4km地点に小山を配置し、差を伝えるように河合に指示した。
本田が最後に調子を崩し、1年の木村が最後に7区の選手になった。持ちタイムはないが練習でも調子がよく、最終調整でも軽かった。七大戦の3000m障害では失敗したが、予選会ではそこそこ走り、この区間も4区藤永と同様期待の方が大きかった。この区間で四日市大との差を30秒以内に押さえ、東北大との差を1分以内にすれば逆転できる。この区間はおそらくどこも8番目の選手であろう。今の木村なら負けることはないだろうと安心していた。バスの中でドキドキしながら連絡を待っていた。
7区の10km手前あたりに位置した嘉賀から電話が入った。四日市大もよれているが、数秒後ろの木村もかなり苦しそう。脇腹が痛そうでペースが落ちているという報告だった。東北大との差を聞いたが、よくわからないという、嘉賀にしてはまぬけな返答だった。その時は何やっているんだと思ったが。おそらく木村の状況が最悪だったに違いない。
すでに8区アンカーは繰り上げをしている。間にあわないといけないので、小山に携帯をかけ『四日市とは15秒差の負け、東北大とは2分45秒の負けている状態』ということを、走ってくる内藤に大声で伝えるように指示した。電話を切って肩が落ちた。ここでブレーキとは思っていなかった。前日の刺激が速すぎたのかもしれない。調子がよかったのは明らかだったから、少しなめていた。
2回監督車から直接木村に『繰り上げだから、気温も暑いから、必ずセーブして、前半は、四日市のユニフォームがハッキリ見える位置までは離されていいから、必ず最後までがんばれるように、後半をがんばれるように』と電話したのだが効果なかった。沈んだ気持ちの所に最終中継所から電話が入った。四日市大が入って8秒後に東北大。そこから1分19秒差で木村が到着したという連絡だった。一瞬耳を疑った。最後の1.9kmで1分30秒も開いたのか?1km4分かかっている。本当に苦しいラストでもがいたのだろう。タイムは40分00秒で区間最下位のブレーキという苦しいレースとなった(ちなみに7年前の内藤は40分25秒で区間20位だった)。
小山に訂正の電話をした。四日市とは1分30秒負け、東北とは3分50秒負けていることを連絡した(正確には1分21秒と、3分34秒)せめて四日市だけは逆転して欲しかった。
8区 内藤聖貴
大逆転するには61分程度の快走が欲しい。しかし暑い。調子はいいが20kmは長い。突っ走れるほど甘くない距離だ。差があることは承知で集団を引っ張っていったに違いない。しかし残念ながら差は広がらない。3kmで小山の1分30秒負け、3分50秒負けという声を聞いて愕然としたに違いない。逆に東北大と四日市大には安心させる情報を与えてしまったのかもしれない。しかしその時点では正確な情報を内藤に与えて、彼の底力に賭けるしかないと腹をくくっていた。
小山に電話して通過していった状況を聞くと、内藤が大集団を先頭で引っ張っていたということだった。この時点で私はあきらめた。大差が付くのなら2kmでばらけないと、4分の差は難しいだろう。あとは本当に神懸かり的な快走と、他校のブレーキという他力本願しかなかった。
監督車は伊勢神宮まで到着した。河合をゴール地点に残し、暗い気持ちでコースを逆に歩いていった。残り1kmちょっとの歩道橋の上に上がってランナーが来るのを待った。上空をヘリコプターが舞っており、10分程度で先頭の駒沢の姿が見えた。アンカー10km地点には嘉賀が先回りをして内藤の応援にいるはずだ。しかし電話がないところを見ると、いい状況でないのが察知された。一度は四日市に勝ったと思っただけに、負けを自分に言い聞かせるのに時間がかかった。
やがて中央学院大が見えてきた、そして徳山大学だ。もうすぐ繰り上げのトップが見えるはずだ。見えたのは内藤ではなかった。高岡法科大そして四日市大だった。急いで歩道橋から降りた。内藤はそこから25秒離されていた。フラフラではないが、走る姿から闘争心は消えていた。東北大は後ろすぐに見えた。
5区あるいは6区までは、ほぼ完璧なレースができただけに悔しい気持ちが大きい。しかし22位とはいっても、記録的にはまずまずである。あのビッグ3だった愛工大、中京大、名商大も5時間40分から45分程度だった。このままもう少し頑張ってレベルがあがれば、常に狙い続けることができる。
しかも予選会で8分負けた四日市大に2分差まで詰め寄っている。大阪体育大や、福岡大も手の届かないほど遠くへ行ってしまっているわけじゃない。まだまだ全日本は近くで待ってくれている。幸い鹿屋体育大には勝ったので、東海地区の枠が1になることはないだろう。
来年またこの舞台に立てるよう、この冬の駅伝シーズンを頑張っていきたい。
最後になりましたが、力強い応援 ありがとうございました。まだまだ挑戦し続けます。