ー「未明」の果てに、憩いのひとときー
帝都の春は、いつもより穏やかに思えた。
満開の桜が並ぶ通りには、どこか浮き足立った空気が流れていた。
それはただの季節のせいではない。人々の口にのぼる、ある“奇跡の人形”の噂が、世の中に広がり始めていたからだ。
「最近、うちの店にも来たんだよ。あの自動人形、すごいんだってね」
「うん、話し相手にもなるし、手先も器用で、礼儀正しいんだ。まるで人間みたいだよ」
――それは、小夜に“似せて作られた”模造品だった。
小夜という名のオリジナルは、もうこの世には存在しない。
けれど、彼女の記憶データは、ある資本家の手によって改良され、量産のためのプロトタイプへと姿を変えた。
名前こそ違えど、その微笑み、言葉遣い、所作の一つひとつが、小夜の記憶から抽出されたものだった。
その再現度はあまりにも高く、誰もがその人形たちに「温かさ」を覚え、「心」を見た。
そして、全国に小夜の“かけら”は拡がっていく。
喫茶店の給仕として、病院の話し相手として、家庭の一員として――
自動人形たちは、確かに人々に「憩い」を与えていった。
まるで、小夜が日本中のどこにでもいるかのように。
だが――
帝都の片隅。
静かな研究室の一角。
そこには、唯一無二の“原点”が、読み取り装置の中に静かに収まっていた。
もはや再生されることもなく、触れられることもない、そのメモリーデータは、
微かに光を反射する金属の裏面を、じっと沈黙のうちに光らせていた。
かつて、そこには確かに“小夜”がいた。
語り、笑い、悩み、感じていた、唯一の存在。
けれど今、同じ言葉を話し、同じ笑顔を浮かべる模造品が全国に溢れる中で、
その記録には、もはや“誰か”としての重みは宿っていなかった。
幸福は、「憩い」は、確かにこの国を覆っていた。
人々は、自動人形との暮らしに満たされ、笑顔を増やしていく。
誰もがそれを“進歩”と呼び、豊かさの証と称えた。
けれどその裏で、最初のひとつ――「小夜」だけが、ただ一人の狂人「好事家」を除いて誰にも気づかれぬまま、“在った”ことを忘れられていった。
記憶装置の裏面が、誰にも見られぬまま、そっと小さく光を反射する。
――もしも、生命なき自動人形に「死」を見出せるのだとしたら。
人が死後の天国を夢見るように、その「死」の先にも、苦しみから解き放たれた穏やかな“憩い”があるのだろうか?
小さな記憶装置は何も語らない。
(未来の自動人形)「本日からこの家でお世話になります、自動人形の千暁です。仕事内容としては、娘様のお世話係。家族全員のお食事やお掃除、洗濯など、日常の家事全般を担当させていただきます。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします。」