タ行

「大東亜科学奇たん」
「第二創世記(上・下)」
「太陽の炎」
「帝国の秘宝(銀河怪盗伝1)」
「敵は海賊・海賊たちの憂鬱」
「テラプレーン」
「電脳セッション」
「天の十二分の五」
「都市に降る雪」
インデックス
「テラプレーン」
ジャック・ウォマック 早川文庫SF

 ジャック・ウォマックの邦訳2作目である。
 前の『ヒーザーン』に魅かれたので今度も期待していたのだが、何か少し違っていた。

 主人公はドライコ社の命によりロシアで発明された空間移転装置を奪うが裏切りによって絶体絶命の危機に陥る。最後の手段として移転装置を働かせると、1939年のアメリカへと移転してしまう。時代の違いに苦労しつつ、途中で失ってしまった移転装置を取り戻し、なんとか帰ろうとする・・・というのが大体のあらすじ。これだけ読むとタイムトラベル&アクションものに見えるけれど、実際は全然違う。
 この話のメインテーマは人種差別問題になっている。1939年(実は本来の歴史と微妙にずれた歴史を持つパラレルワールド)へ舞台を持っていくのは作者の描く近未来社かいと対比させることで人種差別の姿をはっきりさせるためで、作者はタイムトラベルものを書こうとしているわけではない。確かに私もタイムトラベルものとしてこの作品に期待していたわけではないのだが、かなりいいかげんな移転装置の作用と最後の未来への帰り方は気になって仕方なかった。
 『ヒーザーン』から、作者に期待していたのはキャラクターの描き方だったのだが、残念ながら、これも期待外れだった。『ヒーザーン』に比べ一人一人に奥行きが感じられない。背景が書かれている人物が少ない上に、それが行動に反映していないからだ。
 まあ、前よりも比喩が減って読みやすかったし、所々面白いところもあったけれど、人種差別問題というテーマに興味がなかったせいもあって、私にとってはこの話は期待外れだった。ただ、この作品は『ヒーザーン』より前に書かれたものなので、これから先の話はより期待しているものに近くなるといいな、という希望を抱いている。出版されるかどうかわからないけれど。
(Y=Tan)

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「天の十二分の五」
メリサ・スコット 梶元靖子 訳

 裏表紙に書かれている「錬金術的スペースオペラ」というのがこの作品の端的な表現になるのだろうか。

 舞台は科学ではなく錬金術が支配する世界。主人公サイレンスは恒星船パイロットである恒星船は『ハルモニウム』の奏でる音楽に刺激された『音響竜骨』内の『賢者の精気』が現世世界から天上へ向かおうとする力を利用し「煉獄と呼ばれる第十二天」に入り込み、星々の間を数分で移動する。パイロットは「星本」に記されているそのコースに特有の「虚構座標(ヴォイドマーク)」と呼ばれる抽象画の意匠にしたがって「煉獄」を進むのだ
 本の多くの部分が背景の描写に割かれており、この独特の世界設定がウリの話であることは分かるのだが、ただそれだけなのである。ストーリーのほうははっきりいっておもしろくない。話の展開に盛り上がりがなく、だらだらと話が続くのだ。
 少しだけあるアクションシーンはただキャラクターがドタバタするだけで緊迫感が全くない。また、心理描写が今一つ物足りない。ストーリーは主人公の心理描写をメインとして展開しているのだが、彼女がさまざまな場面で葛藤するのにも関わらずあまり意味がなく、結局のところ他人に従うか、状況に流されてしまっていて、読者としては肩透かしをくったような気分にさせられる。
 たとえば、三者間結婚という特殊な条件を、初めは受けるべきか悩むのだが、結局、その場の雰囲気だけで受け入れてしまっている。
 この話のストーリーだけを見たら、三流以下といわざるを得ない。
 では、設定のほうはどうか。力を入れているだけあって、雰囲気としては結構いい感じだと思う。抽象的で曖昧な表現が多すぎるきもするが、「錬金術的」な味わいを出そうとしているのだから仕方ないだろう。
 しかし、この「錬金術的」設定も解説にあるように、「ハルモニウム」=ワープ機関、「煉獄」=ワープ空間、「ホムンクルス」=アンドロイド、などの置き換えをすると従来のSFでやっていることの焼き直しにしかすぎなく、特に新しいことをやっているわけではないことが分かる。そういう意味で、この話の特徴はその雰囲気だけといいきれてしまうのだ。
 結論。この話はつまらない。少しだけながめて雰囲気だけ感じるのが正解だと思う。

 ちなみに、この話の続編『孤独なる静寂』が既に刊行されている。私はまだ読んでいないが、『天の十二分の五』でキャラクターと背景設定の紹介は大体終わっているから、『孤独なる静寂』ではもう少しストーリーに力を入れて、さらに、この設定でしか出来ないような奇抜なアイデアが入っていたりすることを期待したい。

 ここまで色々けなしてきたが、偉大な発想を持った話が現れるまでには多くの話が生まれ、失敗作とされてゆくのだろう。しかしSFというジャンルが閉じたものにならないためには、こういった新たな試みを持った(あるいは毛色の変わった)話も必要だと思う。そういう意味で、この話も(微々たるものだが)役に立っているといえるだろう。
 次々と書かれているであろう駄作の山の上に、SFの新たな領域が広げられ続けてゆくことを願っています。
(田中克周)

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「都市に降る雪」
波多野鷹 早川ハイ!ブックス

 実は同じころに大原まり子の『メンタル・フィメール』を読んだのだが、それとこの『都市に降る雪』の裏表紙に書いてある紹介文は良く似ている。しかし本を開けてみるとこの二つは全く違う。『メンタル・フィメール』は一気に読めたのに『都市に降る雪』は実のところ最初の一編でさえ読み終えられなかった。なぜかというと話が青臭いのだ。同じサイバーパンク的ガジェットを使っておきながら大原まり子のようなハチャメチャさは感じられない。かたや「東京を支配する巨大コンピューターとシベリアの要塞都市のコンピューターが愛し合う。」話に対し「政界の黒幕に「飼われて」いる幼馴染みの姉弟を助けようとする反政府ゲリラ」の話では話のスケールが違いすぎる。そういう話が悪いとはいわないが少し単純すぎで恥ずかしい。まあ、日本で最良のSF作家の一人である大原まり子と比べるのは少し酷な気もするが。
(藤澤邦匡)

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「敵は海賊・海賊たちの憂鬱」
神林長平 ハヤカワ文庫JA

 人の人格や個性なんてただのデーターの連なりでいくらでも切ったり貼ったり薄めたり歪めたりできる。そしてその人の人格や個性はその人が持っているのではなく、その人と関わり合った人々の中にあるものだから、いくらでもどうとでもできる。つまり人がその人であることはそれがたとえよう冥その人であってもとても大変なことだ。そういう話だと思う、これは。
 だから
 「この世には裏も表もない。善も悪も。あるのは、とよう冥は思う。自分だけだ。」
 というところがかっこいい。
(藤澤邦匡)

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「大東亜科学奇たん」
荒俣宏 筑摩書房

 SNF(サイエンス・ノン・フィクション)として、楽しく読ませてもらった。
 11編あるうちの、ほとんどが昭和初期から太平洋戦争に欠けての大東亜共栄圏構想時代における博物学者たちの理想と現実について書かれているわけだが、少し簡単に説明しすぎてないかという量であるが、興味をそそる部分だけが抜粋されているようなので、全編を通して飽きることのないものだった。
 スポット・ライトを浴びることのあまりない彼らの研究・努力は、他人の賛同を得ることが最終目的ではなく、他人の賛同を得て、自分の目標(自然の保護、発見等)を目指すものであった。彼らの熱意たるや何とすばらしいものであるか。SFばりの研究をものにし、SFに負けないほどの夢を持っている。彼らが軍部の圧力に負けた(または好意的に協力した)のは時代の流れからしてもいかんともしがたいが、何とも夢多き先人たちだろう。
 あの科学が戦争に使われた時代ですら、科学に光明はあったのだ。
 私は現代に悲観的すぎるのかもしれない。
(天和)

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「帝国の秘宝(銀河怪盗伝1)」
W・J・ウィリアムズ 赤尾秀子 訳 ハヤカワ文庫SF

 一度、異星人の帝国に征服され、そして再び自由を勝ち取った人類、異星人の残していった文化、帝国の支配を望む人々、そしてその異星人、なかなかはでな舞台である。しかも主人公は超美形で貴族怪盗(これも異星人の残していった文化の一つ)トは、思いっ切り派手である。しかも彼が盗んだものは帝国と人類の関係を再び覆すものだったとなるとますます派手である。派手さだったら斎藤栄一郎のT.Tより勝っているし、しかも細かいガジェットもサイバーアクションものの雄ウォルター・J・ウィリアムズらしく凝っているし、面白いのも確か。でも、僕らにはルパン三世というピカレスク・ヒーローがいるんだもんね。ルパンの方がもっとかっこいいぞ。
(藤澤邦匡)

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「第二創世記(上・下)」
ドナルド・モフィット 小野田和子 訳 ハヤカワ文庫SF

 私の評価からいうと、近来まれに見る、と言ったほどではないけれど、なかなかのヒット作ではないかと思う。少なくとも前作『創世伝説』のレベルを引き下げてる、といったようなことは私にはなっかた。前作のことを考えると、これはたいしたことだろう。(ちなみに、この本の最初の方には前作のあらすじが書かれてあるので、読んでない人はご用心)
 この本は簡単にいえば、異星人に作られた人間が自分達の故郷目指して旅に出る、と言った物語なのだが、その時間スケールがすごい。何といっても光速船である。船外時間では数万年、数十万年といった年月がどんどんすぎていく。しかもその間に宇宙的規模の出来事なんてものが次々と起こったりする。それに、こういったデカいスケールの出来事をモフィットは実に「らしく」かいている。読んでいるうちに「次は何が起こるか」と心待ちにすること間違いなしである。
 ただ難をいうとなると登場人物の人格だろう。性格が変わっていないのである。別に妙に年寄り臭い悟った人物を出せとはいわないが、あれだけの年月と経験を経ながら変わらない性格を読むと違和感さえある。
 たぶんこのせいで、いまひとつ印象を与えられなかったのだろうが、まあ面白い本と言ってよいのではないだろうか。
(加藤聡子)

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「太陽の炎」
ジョージ・アレック・エッフィンジャー 浅倉久志 訳 早川文庫

小坂「今年の一年は有望そうだよ」
小田「どういうふうに?」
小坂「ハードSFや、アシモフ・クラーク・ハインラインという基本を押さえつつ、ジーターやエッフィンジャーも読む、と言う人が何人かいるようだからね」
小田「それは、早川の戦略に乗ってるだけなんじゃないのか?」
小坂「ふむむ」

 なるほど、確かにその通り。でも、この戦略はかなり歓迎できるものじゃないだろうか。早川はもう一方で、いかにもSFSF下、買うのが恥ずかしくなるようなタイトルの本をたくさん出版している。(中身もタイトルと似たり寄ったりの場合が多い)それを思えば、ジーター・エッフィンジャーは早川の良心といえるだろう。僕は高く買っている。

 躍らされているのでなければ、踊っているのさ。

 さて、前作『重力が衰えるとき』から見ていこう。サイバーパンクを意識した表紙、アラブ人の格好をしたエッフィンジャーの近影、ハードボイルドタッチの文体の内容紹介ーこの本の本質は、実はこの装丁に示されている三つの要素の合体である。
 しかし、エッフィンジャーの意図が「しあわせな融合」にあるとは考えられない。もともと無理なのだ。ハードボイルドは肉体から離れられないがゆえにSF性を制限する。かつてニューロマンサーが肉体からサイバースペースへの離脱を書いたのと対象に、本書では人格をモディーというチップにとじこめ、モディーを肉体の中に埋め込む。人間は肉体というユニットに縛りつけられたままである。こうした傾向は『太陽の炎』にも引き継がれている。たとえばトランスペックスゲーム。2人の人間がゲーム機のケーブルを頭に差し、順番に相手のインナースペースに入って、いかに自分のアイデンティティを保つか、というゲームだが、決して2人の人格が混ざったりはしない。プレイヤーはもとの肉体に戻るか死ぬかである。こうした肉体へのこだわりがあって初めてハードボイルド的なストーリー展開が可能になる。これにアラブがからむのだが、やはり、アラブは全体の構造を決定しようとしていない。それでいて、徹底したアラブの味つけがなされている。
 これをアモルファスSFと名づけよう。3つの要素はまったく解け合わないまま混在してひとつになり、新しい物性を示す。SF、アラブ、ハードボイルド、バラバラだけどおもしろい。エッフィンジャーはどれも目指してはいないから。混ざらない3つの要素をかき回して力業で新しいエンターテイメントを作ったのだ。(共に上げたように、表紙はSF、写真はアラブ、説明はハードボイルドをそれぞれ特に強調しているようだがそれは3要素の独立を暗示している)
 結論。SFを求める人は読まなくていい。SFを楽しむ人、SFを考えたい人と、SFなんかどうドもいい人は読んで損しないと思う。SFを利用したジャンルとしては、新しいタイプのYAともいえるかもしれないな。
(小坂忠義)

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「電脳セッション」
東野司 早川文庫JA

 東野司のコンピュータを題材にした短編集。ショートショートといえる長さの作品が17編はいっていて、印象としては電車の中のひまつぶし用という感じです。「コンピューター(以下電脳セッション)を題材」というのは17編すべてに電脳に関係した背景やアイテムがでてくることですが、そこらの知識はあまり必要ありません。普通のSFにでてくるアイテムのように使われているのでたいした違和感なく読めると思います。
 個人的には東野司にはハードなサイバーパンクを描いてほしいのであまり好きな本ではありません。もはや電脳は身近すぎてよほどうまく扱わない限り短編ではきつくなっていると思います。その意味でこの本は特に優れているとは言い難く、物足りないというのが本音です。ま、ファンにはおすすめ、かな。
 『俺たちにROMはない』はおもしろかったです。
(TMS!)

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