カ行
「カメラ」
「元祖羅門堂病院」
「機神兵団 1 満州黎明編」
「牙の紋章」
「奇妙劇場 11の物語」
「ギャラクシートリッパー美葉1」
「驚愕の曠野」
「グラス・ハンマー」
「虚空王2」
「五番目のサリー」
「混沌の城」
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「ギャラクシートリッパー美葉1」
10万年のエスケープ 山本弘 角川スニーカ文庫
うーむ、よしよし。さすが、久しぶりの火浦功の新作である。・・・え、ちがう?
いきなり、おおぼけをかましてしまったが、この作品かなりのモノである。さすが、山本「心はいつも十五歳」弘、同じSNEでも、水○良なんかとはレベルが違う。ちりばめられたマニアックなネタ、少しひねた(顔のいい)主人公、ボケまくる機械人形、次々起こる非常識なイベント、健全なお色気、そして、ゆうきまさみのイラストとおおざっぱに眺めれば、火浦の伝説シリーズと区別がつかない(あ、違った、あれは出渕だ)が、それは言い換えれば、YAの王道をいっているということだろう。
頭の良すぎる(SF・アニメマニアの)女の子が、(巡航ミサイルとの)偶然の出合いをきっかけに、退屈な日常から抜け出して冒険の旅に出るという、あまりにもありふれた設定に、宇宙人から超科学の機械をもらうという、まさに願望充足小説といった進め方、最後に更なる冒険の旅に出かけるというオチじゃあ、ねらいすぎといわれてもおかしくない。
ところが、これが読んでみると面白い。社会批評部の底の浅さは鼻につくが、それさえ我慢すれば、作者のねらい通り和製ヒッチハイクガイドという趣がある。UFOや新興宗教に対するスタンスもなかなかこぎみよいものだし、なんといっても作中火星といえば光瀬龍なんて書かれたら、喜ぶなっていう方が無理ってもんだ。
しかし、これはこの作品の最大の欠点でもある。始めから、大学生をねらって書かれたのならこれでいい。が、中高生をねらったのなら、この方向でのマニアックさは明らかに間違っている。世代のズレである。今の中高生は「やーっておしまい」と「あらほらさっさー」の関係を知っているだろうか。あるいは、G弾・D弾という言葉を聞いて何をいってるかわかるだろうか。
最近一年生から、彼らがアクマイザー3も知らないと聞いて驚いた。僕は、グレートマジンガーならわかるが、マジンガーZはわからない。このように、アニメや、特撮などについての知識は一年違うだけで、大きく変わるのである。まして、SFネタ、クラークの第三法則だの、アルミスタンの羊だのを知っていると思う方がおかしい。中高生は、このような些末なうんちくギャグ(この本の主要部分だと思う)のほとんどを理解できないだろう。
全体的に(YAとして)かなりレベルの高い作品であるだけに、購買層を見過ったとしか思えないギャグの数々が惜しまれる。
もちろん、それが正しければ、僕にはつまらなくなるのだが。
追記 この作品、科学関係の記述も明らかな冗談を除けば、かなりしっかりしているのだが、一部気になった点がある。作品自体の評価とは直接関係ないともいえるが、他が見事に書かれている分、少し惜しい気がする。
(林)
典型的な巻き込まれ型冒険SF。林いわく「『銀河ヒッチハイクガイド』+『ガルディーン』・・・」。私がこの本を買ったのはひとえに表紙とカットをゆうきまさみが書いているから。まぁ、結構楽しめたのは確か。主人公の性格設定が結構気に入ってしまった。普通、この手の、巻き込まれ型冒険SFの主人公は読者が感情移入しやすいように「普通、平凡」を強調している。例えば「普通の平凡な中学生」などというように。しかし、この本の主人公は自分を「美少女」だと主張してやまないし、「平凡」であることを拒否しようとしている。これはこの本の対象読者(少なくとも角川が考えている対象)の欲求充足小説の主人公としては珍しいと思う。
内容に関して言えば、指摘したい矛盾とか、そりゃないぞということも多々見受けられるが、こういう作品にそういったことは野暮というものだろう。
さて、この本のもう一つ(唯一?!)の楽しみは元ネタ探し。例えば、一章のタイトルは『きみの青春は輝いているか』、これは超神機メタルダーのOPの一説、他にも沢山そういったフレーズなり設定なりが出てくる。それがわかる人にはおもしろいかもしれない。(間違っているけど、他に楽しみようがなければ仕方がない。)
ところで最初と最後に作者の山本弘が作詞した主題歌の歌誌が載っているのだが、こういうのはやはり同じ山本でも山本正之に頼むべきだっただろう。折角、イラストはゆうきまさみなのだから。この本のイラストは最近のパトレイバーなどの絵柄とだいぶ違う、懐かしいアッセンブル・インサート風のもの。要は肩の力抜いた(手抜き!?)絵柄で懐かしかったりする。
(藤澤邦匡)
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「カメラ」
ジャン・フィリップ・トゥーサン 野崎歓 訳 集英社
世にもめずらしい自動車教習所の物語。だけどフランスの恋愛小説っていいねえ。ほのぼのしてて、田舎臭くて、それでいておしゃれである。本当にフランスの恋愛映画そのままの小説だよ。
主人公は変に冷めた青年、仕事は何をしているのかよくわかんねぇ。困ったやつ。そいつがただ、車校に行って、恋をして、ちょっとだけSFして、そんでおしまい。ただそれだけの小説です。
大体にして、書き出しから、「普段はこれといって何も起こらない。」だもんね。いい味がしたよこの小説は。
(哲人)
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「混沌の城」
夢枕獏 光文社
たいして目新しいことなどなにもない。夢枕ならではの作品といったところだろうか。どことなく『魔界学園』(菊地秀行)を思わせるような世界設定と、良くある時代劇伝記ものの背景、ありふれたパワーラインの設定、夢枕の世界観とも言える螺旋の力。それだけでも良いと思う。
だけど、完結していないのが難。
だから、あえてこれ以上何も言うまい。ただ、読者として期待するのみ。
おそらくは、続編がでることであろう。また、『上弦の月を喰べる獅子』と違って、わかりやすい内容で売ることをねらっている分、物足りないような気もするが、『上弦〜』と比べては少し酷だろう。
今の夢枕ならこれ以上の作品をかけるはずである。どことなく、菊地といい、夢枕といい、時代物に手を出しているのがやぶ蛇になっているのかもしれない。
期待していたほどの出来ではなかったが、まだまだこれからの作品だとは思う。それに夢枕との付き合いは長くなりそうだから、時にははずれもあるでしょう。
(天和)
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「驚愕の曠野」
筒井康隆 河出文庫
筒井康隆のストーリーテラーぶり、安心して身を任せてしまえるのは自分がすれてきたせいなのか、筒井文学に興味がなくなってきたのか、今はまだ判断できない。
「小説はなんでもできる」を実証するため、最近の筒井康隆ががんばっているのは、読者、聞き手としてはうれしいかぎりである。そんな中で彼の代表作の中に『文学部唯野教授』が登場するようになったのは、ただたくさん売れた本が代表作に挙げられているだけだと私は思いたい。
『唯野教授』は筒井の作品の中では少数派の「技術のみで書かれた」作品だと思う。この手の作品はおもしろさこそあれ、決して好きにはなれない。この手のギャグパロディは、家元の御家騒動と同じで、事実のほうがおもしろいということが多々あるのだ。ワイドショーの記者会見で着物を着たおっさんが放送禁止用語をわめいたり、作家と女優がデモの先頭を歩いている方が面白いのだ。
筒井康隆の小説に信念や主張を見いだすのは難しい。難しいから筒井研究本はよく出る。しかし、そんな物は最初から無いのではないかと思う。あるのは「いかに小説によって人の心を動かすか?」のみである。「どうやって読者を変な気持ちにしてやろうか」ということしか、彼は考えていないのだ。ゆえに彼は夜の街にいる呼び込みのおっさんに過ぎない。(「いい娘いるよー」ってやつ)そして呼び込みにつられて「ファッションへルス筒井」に入ってしまうのが自分である。(「御一名様ーっ」てか)入ってみたらいい娘がいた。
この本がその娘である。
語りと物語からなる二重構造のこの小説を読んでいくと、いつのまにか読者は現実という足場が存在していない様に感じる。現実のはずの語りがいつのまにか現実でなくなっているのだ。とりあえずと思って「語り」の世界に足場を置いておくと、それもだんだん危うくなっていく。「物語」の世界のファクターが読者の現実感を失わせ、小説の中に現実を見いだしていたはずなのにそれすら破壊され、否応なく「物語」の世界の中に引きずり込まれてしまう。この感覚がたまらなくいい。ラストの方の余白がこの感覚を助長してくれてこれまたたまらない。「果てしない物語」の中の少年の気分を味わえる気分であった。
何だか麻薬のようである。
だからやめられない。
(Mtsn)
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「元祖羅門堂病院」
羅門祐人 早川ハイ!ブックス
とうとう出てしまった早川ハイ!ブックス。
でもカバーをとると早川文庫。
『元祖〜』の作者、羅門祐人は元は医者を目指していたため、それっぽい描写はなかなか。Hi!に連載されていた小説の中でも数少ない読める作品だと思う。挿絵は弓月光なんだけど、未菜ちゃんのエピソードはHi!掲載時の永野のり子の挿絵の方がよかった。何といっても永野のり子は病弱な美少女を書かせたら天下一品なので。(こんな事ばかり書いていたら人格を誤解されてしまふ)
(藤澤邦匡)
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「五番目のサリー」
ダニエル・キイス 小野芙佐 訳 早川書房
帯を見て、「また同じようなことをやっている」と思った人、その通りである。まさに同じである。ただし誤解して欲しくないのが、面白さも同じである。悪い意味では決してない。欠点は、新鮮味に欠けるということと、本が厚くて読みにくいということぐらいである。そしてSF的ファクターは取り除かれていることである。だからといって「SFではない」とは言わないのが私の主義である。当然この話はSFだ。
小説を二つのパターンに分けると、期待を裏切りながら進む小説と、期待通りに進んで行く小説がある。裏切るという言葉はちょっと違うかもしれないが、盲点をついていくとか、突飛なことを使うとかそういうものをイメージしてください。「五番目のサリー」は後者になる。たぶん、ほとんどの人がこうなるだろうと思い描いたように話は進んで行く。途中、I・S・H(インターセルフヘルパー)なるものが出てくる。こいつの登場があまりに突飛(伏線はあったが)で、「御都合で出てきたのかなあ」と思ったが、一応納得のいく説明がされたので後腐れがない。
私は、多重人格者の話や、精神障害者の話をたくさん読んでいるわけではないので何とも言えないが、というか「ジキルとハイド」しか今は思いつかない。短編であと少しどっかでなんか読んだ覚えがあるが、どんなものか覚えていない。その手のリーダーの人達は、この話に新鮮味がないと感じるだろう。しかし、話を、登場人物をトレースしていく読み方をしてもじゅうぶん楽しめる話だ。
とはいったものの、「アルジャーノンに花束を」の方がやっぱり面白いかなあ何て思っているのであった。ラストは泣きに勝るものなし、といったところか。
ここからほんとの感想を書こう。内気のサリー、インテリのノラ、天真爛漫なベラ、楽天家のデリー、サディストのジンクス。彼女たちは、サリーの持つ、否、実は誰にでもその能力はあるのかもしれないが、想像力、生亡き者に命を与える想像力の産み出したものだ。人形に話しかける、始めは返事を自分でしているが、いつしか人形が答えているような気がしてくる。それがからくりになっている(多重人格の原因)になっているが、これを読んで、デビルマンやバイオレンスジャックを思い出してしまう自分が悲しい。
さきにも述べたが、これほど意外性のない小説も珍しい、「やられたな」と感じるところはまるでない。途中人格を融合していき、サリーが変化していくところも素直なものである。思ったとおりに変身してくれる。また、最初からジンクスをキーに使っていることからも、先の読めるというものだ。しかし、あまり深く勘ぐらずに素直に読んで行くだけでもじゅうぶん楽しい小説である。(ジンクスがサリーをレイプするのを面白いと思ったのは私だけだろうか?)
いずれにせよ誰にでも薦めることのできる小説である。
(Mtsn)
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牙の紋章
夢枕獏 祥伝社
夢枕はいい。バイオレンス、メルヘン、格闘もの、そしてSF的作品。どれも好きだ。
この作品は格闘ものだ。通じて夢枕の格闘ものの作品にあるのは「強くなりたい」であり、「なぜ、自分は強くなりたいのか」である。しかし、この作品では「自分は何者であるか」であり「なぜ戦うか」である。
つまり「強くなりたい」というのは当然の前提としてしまっているのだ。「自分は何者であるか」という主人公の問いは、『上弦の月を喰べる獅子』の根本的な問いにも通じている。私は破滅主義者であるから、この問いに対する答えは「偽りである」か「虚である」としか答えられないが、一般的な見解はどうなんだろう。是非とも知りたいところではある。夢枕の『上弦』での答えは「自分は自分である」であった。
この作品において教示されたのは「女ができることによって、それが逃げ場所になってしまい、男は真剣に戦えなくなる」というものだ。これは彼女がいない私にとってはありがたくてうれしくなってくる。当分の間これを言い訳に出来そうだ。
(天和)
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「奇妙劇場 11の物語」
大場惑 他 太田出版
「奇妙」という題名と、出版社の名を見れば、ほぼ内容の見当はつくだろう。そう、タモリの「世にも奇妙な物語」の人気をあてこんだ、お手軽企画の短編集である。
ところで、なぜ「世にも奇妙な物語」があれだけあたったのだろうか。曲本のノベライズが3〜4冊、類似のマンガも目につきはじめ、果てはテレビをそのまま漫画化したものまででる始末である。ストーリーはそこそこのものとはいえ、演技も出来ない歌手系タレント中心で、一昔前の月曜ドラマのような画面作り、SFXもちゃちで、とても受けるとは思えないようなシロモノである。
やはり、昨今の異常なまでのオカルトブームによるものなのであろう。おまじない、超魔術、UFO、人面犬、少年マガジンがいち早く超自然現象肯定漫画をのせ始め、日本テレビは芸能人を集めて怪奇体験を語らせる。どこか病んでいるように思えてならないのだが。
閑話休題、ながながと書いてきておいて申し訳ないが、オカルトブームとこの本の内容とはほとんど関係がない。企画は安易にしか見えないが、作品はよくできたファクト&ファンタジー/ホラーである。どれもが、突飛なアイデア、よく構成されたプロット、納得できるオチと短編の基本を律儀に守っており、それでいながら、読んでいて、飽きさせないものになっている。
かんべむさし、横田潤彌から、村田基、中井紀夫まで、バラエティーに富んだ作家が、見事にその持ち味を活かしており、テーマがほぼ同じであるだけに、よりはっきりと作風の差を感じることができる。日本の短編が好きなら一度目を通しておいても良いだろう。ちなみに私のベストは梶尾真治『紙風船』である。
ところで、ジャンプ22号のアウターゾーンは、なぜあんなにこの本の村田基の話に似ているのだろう。
(林)
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「グラス・ハンマー」
K・W・ジーター 黒丸尚 訳
神について何を思うんだろうか。
ニーチェは、「神は死んだ」といい、そして「超人」を求めた。
ジーターは、「神は死ね」といい、「私が神だ」という。
かなり歯ごたえのある作品だ。バリバリ音をたてながら、歯の一本や二本ぐらい折ってもかまわない感じで読み砕いた後に残るものは、闇。
救いがない。『ドクターアダー』もまた救いがなかった。
ジーターは、「ドクターアダー」の中でも描かれているように、神は人間であるとしている。それは、権威者ではなく、支配者が国家の支配のためにつくる神話でもなく、人間が意図的に、あるいは、いやおうとなく「神」に祭り上げられる。
「神」という存在を人間に求めている。というか、人間こそ神なのであり、神に権威なぞなく、神なんてのは作ろうと思えばいくらでも作ることができる。このことは『ドクターアダー』よりもより強く、この『グラス・ハンマー』で描かれている。
神の作り方とでもいおうか、『ドクターアダー』では、「キリスト教」を、『グラスハンマー」では「神」自信を見事に作り上げた。
そして読めばすぐ分かるが、「過去ー現在」の倒錯、このせいで読みごたえがあるのだが、この倒錯の作り方はなんとも見事な出来である。
『ドクターアダー』に用いられた、エログロサイコな表現は影をひそめ、代わりに「映像」「音声」と言ったものを文字にして、文章のなかにはさむことによって、脳味噌の中をひっかき回してくれる。
いずれにしても、再読しないことにはどうしようもない。もう一度読んでみると、また何か見つけられるだろう。
(Mtsn)
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「虚空王2」
菊地秀行 ソノラマノベルズ
虚空王の二巻だ。
これはスぺオペだ。そして、今までのなかで一番痛快無比なスぺオペだ。
やりたいようにやる。なるようになる。これは、それだけの力があるから書けるということなのだが、なんと羨ましい限りのキャラクター達だろう。この作品の前では銀河英雄伝説なんて、何て非力で、せせこましいんだろうかと思わずにはいられない。
やっぱりスぺオペって言うのは、人知を越えた超兵器が出てこなければ何の面白味もない。それに、何か考えてるとは思えない無鉄砲な奴等がいなくては。
虚空王は何となくキャプテン・ハーロックに似ていないこともないが。その能力はいまだかけらほどしかのぞかせていない。他のキャラクターも一癖も二癖もあって面白いのだが、妙に正義感の強いジャーナリストには閉口せずにはいられない。それよりは悪役の方がよほど人間的で魅力があっていい。他のキャラクターもとんでもなく強くて楽しくて仕方がないが、毎度ながら終わりのない(見えないではない)展開、ぜひとも早期完結を願う。せめて五年以内には完結してほしいものだ。
菊地秀行の久々の意欲作となることだろう。しかし、私が心配するただ一つのことは、この作品は「獅子王」に連載されているわけで、つまり、ソノラマでかかえているのが、『虚空王』『魔界都市新宿』『吸血鬼ハンターD』『トレジャーハンター』となるわけで、ただでさえ展開の遅いDはいつ完結するのだろう。
このままだと、おそらくこの『虚空王』は七巻以上は絶対で、十巻近くにはなるはずで、それはそれでいいんだが、読者はただ待つのみということか。
はちゃめちゃスぺオペ。
楽天家にはおすすめです。
(天和)
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「機神兵団 1 満州黎明編」
山田正紀 中央公論社
山田正紀のシリーズ物といえば、昔懐かしい『神獣聖戦』、ソノラマの駄作『機械獣ヴァイブ』、そして最近完結した『闇の大守』が挙げられる。『闇のー』は感動的なラストを迎えたのに対し、『ーヴァイブ』は話途中でどうにかなってしまっている。
そこでいま新しくシリーズとして始まったと思われる本書であるが、どうやらその後者の方に近いのではないだろうか。一見したイメージが似ているだけでなく、テーマもよく似ているように思われる。つまり怪獣が宇宙人になっただけなのだ。ひょっとしたら登場人物の役割がわからないまま途切れた『ーヴァイブ』の方が、既に立場のほとんどわかってしまった本書より奥が深いとさえ思えてくる。もしこの二つのシリーズで続編が出たとしたら、『ーヴァイブ』は絶対に買うが、本シリーズは買うか買わないかわからない。もちろんこれは言葉の綾で、当然買ってしまうことは間違いない。まあそんなわけで、このシリーズも尻切れで終わるような気がするし、そうなってもらい次の巻で完結するのなら歓迎もするが。
内容は第二次世界大戦のころ、戦争中に宇宙人が割り込んできてむちゃくちゃやっていく。これはいかん、と言うことで各国が対宇宙人用のロボットを作り出すわけである。日本も当然作ってしまい、本書はそのロボットに乗り込むべき三人の人物の武勇伝のような物が書かれているのである。そこでは言語学の権威という人物と、正体不明の中国人が、世間は狭いと言わんばかりに登場して、そしてラスト、空中に表れた円盤に対していま進撃しよう、というところで終わっている。
さて、ここで山田正紀の作品に対する恒例の山田正紀批判のコーナーである。大きく三つの点を挙げてみたいと思う。
まず一点は内容の面から。ロボットのパイロット三人に絡んでくる言語学の権威の辺が非常に安直に進んでしまっている。もっと複雑にし、誰もどんどん残しておき、読者に対する不安をもっと煽ってそれを継続されていけば話はずっと奥深くなりおもしろくなったはずであり、残念だ。
次の点は文体の面から。やはり山田正紀には常に冷めた視野で客観的に文章を操ってほしい。ところが本書ではときどき中途半端に登場人物の主観の混じった表現が登場する。しかしそれがかえって読者の登場人物の感情移入を軽くしている半面弱くもしているのである。山田正紀の登場人物の存在感が最近小さくなったのもこのせいかもしれない。
最後は、これが一番言いたいことだが、カバーの”著者の言葉”の欄のことである。そこには「絶対に面白くする」という言葉があるのだ。今までの山田正紀にはまず見られなかった類の物だ。まるで読者に媚びを売っているようではないか。(ずっと)以前の作品とはそういった物ではなかったはずだ。山田正紀自身の書きたかったこと、考えとか関心ごと、そういった物を書いていって、それが結果として人を引きつけ、感動させるもの、山田正紀の魅力といったものとなっていたのではなかったか。当然そこには面白くする、という意思は大きく働いていたと思う。だが、そのことをバラしてはいけなかったのだ。山田正紀は常に孤高の作家でなければならなかったのである。それともこれは私の単なる買い被りだったのであろうか・・・。
(神秘人)
P.S. さて、私は山田正紀のファンなのでしょうか?
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