ハ行
「バベルの薫り」
「80年代SF傑作選上下」
「反逆の星」
「ヒーザーン」
「ビックバンの風に吹かれて」
「必殺の冥路」
「不滅の愛(上・下)」
「星から来た舟(上中下)」
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「80年代SF傑作選上下」
小川隆・山岸真 編 早川文庫SF
おもしろかった。上下巻各700円という値段に見合うことだけは保証する。
確かに、アンソロジーとしては致命的な欠陥を抱えている。再録が多すぎるのだ。『わが愛しき娘たちよ』などは早川でこの三年間に三回印刷されている。雑誌掲載の再録はまだ許せるとしても、自社で刊行した短編集からの再録というのはちょっとひどいのではないだろうか。しかし、テーマアンソロジーである以上、他の書物との重複は仕方がないとも言える。確かに、それに見合う作品が多いのだから。ここの作品について触れる前に、まずその他の部分から。
装丁は非常にかっこいい。あっさりしすぎているような気もするが、80年代を現すにはこの淡さは適切だ。続いて、序文。このアンソロジーの姿勢が示されるわけだが、とりたてて言うことはない。重要なのは目次である。と、ここで作品選択と、その配列について語るべきだが、これについては京フェスで編者本人の口から意図を聞いてしまったので、僕などが今さら口にする必要を感じない。こまかな感想については後で触れる。解説は80年代のSF界の流れを概観したものだが、かなりわかりやすく、現代SFをめったに読まない僕でも何となく様子がつかめたきになった。ただ、後半サイバーパンク以外についてはあまりに駆け足で通りすぎた感があり、その点やや不満である。付録の資料はみごと、だがどうせならこのアンソロジー収録作品がいつマガジンや他の短編集に載ったのかのリストも欲しかった。最後に、煽り文句。上巻の物はやや誇大広告気味ではあるが、納得できるとしても下巻の最後の文章はひどい。この編集者は、序文を読んだのだろうか。
続いて、ここの作品について。
ウイリアム・ギブスン
『ニュー・ローズ・ホテル』
いきなりサイバーパンクを置くことで80年代を印象づけようという意図だったらしいが、どうもはずしているような気がする。『ハードフォウト』や『血を分けた子供』に比べて、いや『わが愛しき娘たちよ』に比べても作品の印象が弱すぎて、ほとんど心に残らなかった。おかげで、上巻はいまひとつ印象が散漫になってしまっている。かっこよさは認めるが、それで作品の印象が残らなければ文体なぞ何になるというのか。ギブスンの作品はほとんど読んでいないので何とも言えないが、もう少しましな選択があったのではないかと思う。この作品は、僕にはただのハードボイルド風の文体に、近代風俗とハイテクタームをふりかけただけのありがちな短編としか思えない。このどこに時代を切り裂く’エッジ’があるというのか。いくら手垢にまみれていようとも、まだしも電脳物を置いた方がよかったのではないだろうか。読んだことはないが。
・・・・・・45点
ポール・ディ=フィリポ
『スキンツイスター』
続いてサイバーパンクである。この作品がもう少しましなら救われたのだが、二作続けて右から左へ抜けていくような作品だったことが上巻最大の問題であろう。下巻は『胎動』の印象の薄さを『祈り』がみごとに救っている。どうしても、短くなりがちな一編目に比べ、二編目はわりと自由に選べるのだから、もう少し選びようがあったのではないだろうか。まあ、僕は超能力物が大嫌いなので偏見があるかもしれないがそれにしてもこのオチはひどすぎる。いきなり納得すればいいという物ではあるまい。だいたい、これのどこに’人間性の変容’があるのか。ガジェットはただの心霊手術だし、キャラクターもごく常識的な反応しかしていない。これでは’いつまでたっても人間は変わんねえ’という話としか思えないのだが。
・・・・・・30点
キム・スタンリー・ロビンソン
『石の卵』
サイバーパンクの後には文学派である。しかし、僕はこの作品のレヴューをあっさり放棄する。正直、理解できなかったのだ。というか、表面的な筋を理解しただけでいいのかどうかがわからない。僕には、「ああ、いいお話だね。で、それがどうしたの。」と思いつつ、実は僕が気づいていないメタファーが山のようにあり、それがわからないとおもしろくないのかもしれないと恐れを抱いていることしかできないのだ。従って、感想は一つだけ。「よくわからん。」
・・・・・・50点
コニー・ウィリス
『わが愛しき娘たちよ』
続いて、コニー・ウィリスの問題作(といわれている)が登場する。実に、普通の短編であり、60年代以降ならいつの作品といってもおかしくないというといいすぎだろうか。社会現象をSF的な環境におくことで誇張し、従来のSFの手法でストーリーを展開し、解決もごく普通のモラルの枠内で行われるといういかにもな作品でとりたてていうほどとは思えない。これが、こうまで話題にされたのは、作品の背景をなす男性批判ととれる部分が強調されすぎているためだろうが、男性批判と読むよりは、むしろ最後に示される人間のエゴ(原罪?)に重点を置いて論じる方がいいのではと思う。そうしてみれば水準以上の作品であり、傑作ではないが、佳作ではあるといえる。
・・・・・・75点
ジャック・ダン
『ブラインド・シェミィ』
クズ。電脳ものならいいという物でもあるまい。長めの話に挟まれた中休み以上の価値はなく、それなら無駄な描写を切るべきだ。ところが、切ろうにも切るところがない。『石の卵』同様、僕に読みきれていないだけかもしれないが、この作品については理解しようとする気が起こらない。
・・・・・・20点
ロジャー・ゼラズニィ
『北斎の富がく二十四景』
いかにも、冗長であり、無駄が多すぎる。書こうと思えば四十頁でも、いやメインアイデアだけなら二十頁でもかけるような気がする。だが、この作品はこれでいいのだろう。若干コンピューターを神格化しすぎているきらいがあり、日本についての描写も、正確な分どことなく違和感を覚えるが、絵にストーリーをつけただけだと思えば、そこそこ納得のいくレベルであり、よくぞここまでまとめ上げたといってもいい。ルルイエのくだりには爆笑させてもらえたし、ま、これはこれでいいんじゃないでしょうか。
・・・・・・55点
ハワード・ウォルドロップ
『みっともないニワトリ』
上下巻を通じて、このアンソロジーのベストを競う逸品である(笑)。実際、ユーモア短編としては五本の指に入るしろものだと思うが、このアンソロジーにはいる理由がよくわからない。どう甘く見ても70年代、たぶん60年代といっても通るような作品であり、「80年代」傑作選にはいるのはいまひとつ納得いかない。でも、まあ、こういう機会がなければ読まずに過ごすところだったのだからよかった、よかったとして手を打とうか。
・・・・・・87点
ルーシャス・シェパード
『竜のグリオールに絵を描いた男』
すばらしいファンタジーだとは思う。ドラゴンというありきたりの素材を扱いながらその魅力を存分に引き出し、しかもそれだけに終わらせていない。メリックの人生を考えると何やら感慨深いものもあり、小説作品としてなら『みっともないニワトリ』に匹敵する。ただ、このアンソロジーは「SF」傑作選であり、シェパードにはSFとしてすばらしい作品が外にあることを考えると、ここにこの作品がある意味が分からなくなる。(こんな感想ばっかり)80年代のSF界がファンタジーとホラーに席巻されていたことを現すなら他にもっといい例がありそうなものだし、そうすれば、よりシェパードらしい作品が挙げられたのではと思う。ただ、ウィリスがウィリスらしくない『わが愛しき娘たちよ』で話題になり、しかもそれが明らかにウィリスの作品であるのと同様、グリオールにもシェパードらしさがちゃんと現れており、それならば凡百の他のファンタジーを載せるよりはこの佳作をファンタジーの代表とする方がよいのかもしれない。個人的には『ジャガー・ハンター』の方がいいと思うけどね。
・・・・・・83点
アレン・M・スティール
『マース・ホテルから生中継で』
一転してあからさまなSFである。音楽はよくわからないのでいまひとつ乗りきれなかったが、最後の台詞を読むといきなり許してしまった。我ながら情けないくらい正面切って宇宙にあこがれられると弱い。『天の光はすべて星』を愛する人にはおすすめである。
・・・・・・67点
ジョージ・A・エフィンジャー
『シュレーディンガーの子猫』
上巻のトリを飾るのはエフィンジャーの名短編である。この作品、ほとんど欠点というものがなく、みごとに仕上がっている。ただ、そのわりにはいまひとつ印象が薄いところがあり、そこが難点といえば難点であろう。うーむ、しかし本当に書くことがないなあ。
・・・・・・73点
エレン・ダトロウ
『回想のサイバーパンク』
というわけで、実は上巻のトリはこちらなのだった。しかし、これがここにある必要はないのではなかろうか。運動については解説にも、カードのエッセイにも書かれており重複が過ぎる。
・・・・・・40点
マイクル・ビショップ
『胎動』
先にもかいたが、下巻の冒頭としては少し弱いのではないだろうか。僕にはこの主人公の心の動きがさっぱりわからなかったし、(あそこで残るのはともかくなぜ街を壊すんだ?)飛行機の爆発なども御都合主義としかおもないので正直いってつまらなかった。どう、読めば面白味を感じられるのか誰か教えてくれないだろうか。
・・・・・・45点
ジョアンナ・ラス
『祈り』
このアンソロジー全体にたいする評価が飛躍的に高まるきっかけとなった作品である。やはり、神を馬鹿にする話は良い、って違うか。実は中世の北ドイツ(?)の描写を楽しんだだけでオチはあまり気に入っていないのだが(UFOは苦手で・・・)ラスト、ユダヤ/キリスト教的な神にたいする皮肉ともとれる描写にすべてを許してしまったのである。とはいえ、並の文章力の作家であれば、これだけの話を書いといて宇宙人だけでした、チャンチャンなどという終わらせかたをすれば全体をぶち壊しにしていただろうが、結構素直に読めてしまったあたり、かなり文章力のある作家なのだと思われる。長さにもだれなかったし。ぜひ、他の作品も読んでみたいものだ。
・・・・・・80点
ブルース・スターリング
『間諜』
上巻の始めの二作でサイバーパンクには悪い印象を持っていたのだが、これはそれなりにおもしろく読めた。若干、ガジェットをはぎ取ったらただの古き良きSFなのではないかという気もするが、ひょっとしたらこのガジェットの方が作品の本体なのかもしれない。
・・・・・・67点
ルーディ・ラッカー&マーク・レイドロー
『確率パイプライン』
よーし、うむうむ。よーし。これ、これこそSFである。始めは日常的な話。それを科学を小道具にしどんどん大きくしていき、最後には宇宙規模まで話をでかくする。バカSFのお手本のような作品であり、これを読むためだけに短編集をかっても惜しくないほどの名作である。「難解な馬鹿」ベイリーや、「重厚な馬鹿」ワトスン、「高尚な馬鹿」レムや、「異質な馬鹿」ラファティなどとは違う、「軽薄な馬鹿」。全盛期の筒井もかくやという馬鹿さ加減にはあきれるほかはない。「胎動」もこういった処理をすればまだ読めただろうになあ。
・・・・・・85点
ジェイムズ・P・ブレイロック
『ペーパー・ドラゴン』
スチーム・パンクの雄、ブレイロックがついに登場する。いいお話であり、それだけといえばそれだけなのだが、竜の完成のためむなしい努力を続けるフィルビーの姿に自分の姿に自分を含めたマニアという人種も重ねて読んでいたのでつい身につまされてしまった。フィルビーの姿に技術を追い求める人種全体を重ねて読むとさらにむなしさが感じられるのでおすすめします。
・・・・・・78点
オクテイヴィア・バトラー
『血をわけた子供』
傑作である。SFを読んで衝撃を感じたのは本当にひさしぶりになる。この衝撃はスプラッタな描写によるものではないと思う。そんなものなら唐沢なをきの漫画を読めばいくらでもある。妊娠という現象のとらえ直しと、男がそれを受容できるかという問いに衝撃を感じたのだ。ここに書かれる妊娠はひどくおぞましい、しかも、それを受け入れるのは家畜としての人類である。文章はさしていうほどではないが、テーマの重さから来る圧迫感はすさまじく、また、ETIのグロテスクさも相まって非常に優れた作品に仕上がっている。フェミニズム小説として読んでも、異星ものとして読んでもこの10年間最高の収穫の一つといえるのではないだろうか。
・・・・・・90点
ローレンス・ワット=エヴァンス
『僕がハリーズ・バーガー・ショップをやめたいきさつ』
前説に付け加えることはほとんどない。ただ、この作品のラストで示されるのは、安易なSFの肯定ではない。センス・オブ・ワンダーとは何か。それはSF風の、あるいは異世界風の単語の羅列で示されるだけのものだろうか。現実に勝る驚異を、SFは持ちうるのか。それなくしては、SFはSF足りえないのではないだろうか。
・・・・・・80点
グレッグ・ベア
『ハード・フォウト』
130頁にもわたる大作であり、文章も一見読みにくく、プロットも入り組んでおりかなりの難物と思われる。歴史とは何か、また人類と異星種族とに理解はなりたつのか、あるいは人類の未来は、など大きなテーマをいくつも扱っており、このアンソロージー最大の難物と言える。ただ、実際に読んでみると、文章の読みにくさは造語が原因で、それは従来のSF用語を置き換えたハッタリに過ぎないし、プロットの複雑さも読む興味を増しこそすれ、読む妨げになることはなく、テーマも読み進むうちに自然にわかってくるので、外見の取りつきにくさほど読みにくいしろものでもなかったりする。ところで、どうでもいいことだろうが、無相角数学というのは何なのだろう。どうも、読んでいて信念航行の類としか思えないのだが。(笑)
・・・・・・82点
イアン・マクドナルド
『帝国の夢』
トリを飾るのにふさわしい作品である。これの読み方は前説に提示されているとおり、SFとは何かということだろう。12歳の少年の夢にしか過ぎないようなSF、第二世界への逃避しか産み出せないようなSFはいずれ卒業しなければならない世界である。しかし、それを抜け出した上でなおも空に残るのは、時代を見つめ、さらに先へと視点を向けることができるSFの真の姿である。SFファンはその幻想を頼りにこのジャンルにしがみついているのではないだろうか。そして、それを信じている限り、数は少なくなろうとも衝撃を、飛躍を、未来への視点を与えてくれるSFが現れ続けるのではないだろうか。
・・・・・・70点
オースン・スコット・カード
『私的80年代SF論』
解説の一部と思って読むべきであろう。かなり公平に書いてありながら、カードのモラリストとしての面がにじみ出ておりいい出来だとは思うが、編集の手を入れてあるというのが気になる。ここに列記されたほどの改訂を行って、なおもカードの作品と言えるのかについては疑問が残る。
・・・・・・60点
レヴューというより感想文のようなものになってしまった。感想ついでに、このアンソロジー全体にたいする感想をもう一度。買って損はなかった。短編集は一作おもしろければもとがとれると思うのだが、このアンソロジー、かなりヒット率が高い。でも、やはり、早川文庫に入っている短編を載せるのは考えものだと思うけどね。
(林)
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「ヒーザーン」
ジャック・ウォマック 早川文庫SF
この話は、荒廃したアメリカを支配する巨大企業ドライコ社の社長が、出現した救世主レスターに興味を抱くところから始まる。彼の能力を利用しようとする社長サッチャーをはじめとした個性的な幹部の面々がレスターとの関わりの中で様々な思いを展開する様を事件を通じて社長の愛人ジョアンナの視点からおっている。
非常にとっつきにくい作品である。表現は間接的で、イメージをつかみにくい。
初読では何が何やらわからないままに翻弄されてしまった。ただ、全体に漂う雰囲気と、ときどきチラリと見える、比喩の裏に隠れたものに妙に魅きつけられた。
再読してみてようやく非常にうまくストーリーが構築されていることに気づいた。伏線であるドライコ社の重役の殺害事件は二転三転し、思わぬ方向から関わってくる。人物のいろいろな行動はそれぞれの持つ精神的根拠に基づいている。一見なんでもない比喩も、読み返すと伏線だったりするので、この作品はぜひ再読することをおすすめする。実際、読み返す度に新たなものが見えてくる作品なので、読む人によっても全く別の見方がなされるだろう。
文章の全体の雰囲気は(その読みにくさも含め)『ニューロマンサー』に似ていると感じた。これは、帯にあった「ギブスン絶賛」の言葉のために、ある程度先入観があったためでもあるが、翻訳の段階で訳者の色がでてしまったためと思われる。解説によると、著者は、かなり独特の文体を作り出しているらしい。そのような文章を邦訳しようとすれば、どこかで無理を生じ、その無理を埋める段階で訳者の色がでてしまうのは仕方ないことだろう。その点でこの作品はより読みにくくなっているのかもしれない。(だからといって原文を読むほどの英語力も根気もありはしないが)
それでも、やはりこの作品は『ニューロマンサー』とは異なる独自のものを持っている。『ニューロマンサー』が感覚的な言葉で魅力的に背景世界を描き出したのに比べ、『ヒーザーン』で寓意的(−ハロウィーンの衣装で着飾った真実−)に描かれる世紀末のアメリカの姿は嫌悪感すら呼び起こす。だが、それを背景にする人々の常道が、より力を入れて写し出されている。
『ヒーザーン』の人物たちは、自らの作り出した退廃の泥沼から抜け出すことができない。その、自身で感じつつも決して認めない悲しみが、背景とともに、作品全体を灰色のイメージに染め上げている。救世主レスターですらそのトラウマから逃れることはできなかった。ただ最後に、ジョアンナだけは安らぎを見いだすが、それはレスターの死を通じて得た自身のあり方であり、決してハッピーエンドにはならない。(話の終わりの部分は始まりの部分との対比になっていて面白い)
救世主という存在をかいして人の生き方、考え方を描き出そうとしたこの作品はSFとはいいきれない面を持っている。しかし、これも一つの新たな方向になり得るのではないかと思う。
次の『テラプレーン』に期待したい。
(Y=Tan)
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「星から来た舟(上中下)」
新井素子 集英社文庫コバルトシリーズ
言っては悪いが、惰性で買って惰性で読んでしまった。まあ、そういう話である。
ストーリーの構造は『カレンダーガール』に酷似しており、日常的なドタバタの最中に事件が起こるが、実は事件の犯人は実は善人であることが判明し、同情した主人公たちの活躍で力ずくでハッピーエンドに持っていく、まあ新井素子の十八番というべきパターンである。メインのストーリー自体はわりと単純である。上中下冊という量からいえば、はっきり言って冗長である。『星へ行く舟』シリーズの裏設定の解説に半分近く割かれていることと、登場人物の細かな行動の理由をいちいち細かく解説するという新井素子特有のスタイルに原因がある。まぁ、それは長所の一つと見てもいいのだが、ここまでになるとあたたかい目で見守るというわけにはいかなくなる。
しょせんサイドストーリーでしかないのなら、ここは短くまとめて欲しいところであったが、よく考えたら短編は新井素子のもっとも不得意な領域なのだからしょうがないのかもしれない。
『ネリマ大好き』、『星から来た舟』、『おしまいの日』と、今年に入ってすでに三冊も本がでている。新井素子が復活する日も近いのではないだろうか?(希望的観測)
でも、あの時のような気持ちで読むことはもうできないんだろうな。
(PSYCHE)
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「反逆の星」
オースン・スコット・カード 田中一江 訳 早川文庫SF
「カードらしくない」とある人が言った。
傑作冒険SFと紹介されているが、反論を恐れぬ言い方をすればこの本は「(コンピューター的)ロールプレイングゲームSF」だといえるだろう。
再生力が異常に強くてめったな傷では死なないが、勝手に手や足がはえてくるので、余った手足はちょん切って物々交換(対価はこの星では採れない「鉄」である)の品物にしてしまう。そんな一族の王子が国を追い出され、特異な能力を持った(=フリーク)種族の国を放浪して、その能力を修行で自分のものとし、世界の調和を乱すものを討ち取る、とまあそんな話し。少し毛色の変わったヒロイックファンタジーだが、「ダブルクラウン」作家(*)だけあり世界構築がしっかりしているので読んでいて不安になることがない。
現実には存在しない肉親や召使いになりすましてその存在を信じ込ませてしまう巧妙な能力で国を乗っ取る「にせもの」の一族。それが真に倒すべき敵であることに主人公が気づくのは、延々物語が半分を越えてからである。アニミズム的哲学を持つ一族を(言い方は悪いが)改心させて協力を請い、自分の故郷を除くすべての国に散らばった「にせもの」の一族を絶滅させた後、「弟」だと名乗る「にせもの」を殺すため主人公は故郷に戻る。本当は存在しない「弟」を殺すために。だが「弟」は本当の意味で自分の分身であった。放浪中に死にかけたとき自分の腹から分かれた、そして自分に殺されかけた記憶を持つ自分の分身。それが「弟」の正体であることがわかったとき、主人公は恋人と二人で世を捨てることを決意する。「自分を殺したものに自分を演じることはできないのだ」と知って。
カードの作品は『エンダーのゲーム』しか読んでないが、『エンダー』よりも単純に読んでおもしろい簡単な話である。主人公もラスト二つ前のシーンまで何も難しいことは考えていないから読みやすいし−−−ただ腐っても、というか−−−
とにかく最後はカードらしい結び方だったので好感の持てる一冊であった。
「いやいや、やっぱりカードですよ」
*(細かいことを付け加えると、本書の元になる作品は『エンダー』よりも早く書かれたので、書き上げた時点ではダブルクラウンではなかった。賞を受けたあと、ストーリーを変えずに細かい言い回しをかえるなどして改定出版したのが本書である。)
(TMS!)
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「バベルの薫り」
野阿梓 早川書房
この小説の賞賛すべき最大のポイントは、無駄なところが無く非常にスリムに(本は厚いが)仕上がっていることである。ゼイ肉でブクブク太って厚くなった本では決してないのである。
半分ほどまではすべてが伏線であるといって過言ではない。天皇制の構造分析、免疫の説明、日本語のサブジェクト(=主語)に関する疑問と唯一の目新しいガジェットである心霊素子コンピューター・ISUMO、これらなんの関係もないものたちが渦の外縁に配置され、物語の進行とともに徐々に一点に向けて集合してくる。
物語の中では、登場人物たちが至る所で対立しアウフヘーベンされ、最終的に、孤悲、ジョージク、あけぼの、雅日子の四極に帰着される。そして四極の対角の中心と伏線の渦の中心が合致し、物語は大団円を迎える。
はっきり言って完璧である。
スーパー姉ちゃんが出てきて、悪の大将と対立してやっつけようとするけど、それじゃつまらんからどんでん返しがあって、正義はやっぱり勝つ、といったような小手先の技
「不滅の愛(上・下)」
クライヴ・バーガー 山本光伸 訳 角川文庫
よくあるパターンといってしまえばそれまでかもしれないが、異世界の異生物の侵略から、現世界を守るというのがメインストーリーらしい。しかし、上巻ではそんな展開があろうとは思えないような、「善」対「悪」のストーリーが展開される。
この作品は(アート)三部作の第一部であるそうだから、続編の期待はするが、それにしても、何とまあキャラクターが次々と死んで行くんだろう。続編ではもっと多くのキャラクターが死ぬことだろうが、実りのある作品とは言い難い。パーカーの人生観が表れて入るのだろうが、いまいち賛同できない。「人生には三度の安楽のときがあり、それは、生まれたとき、初めて愛する人の隣で眠るとき、死ぬときである」だそうだが、中国における思想では、「生」と「死」は「老」と「病」とともに、四苦の中に含まれている。まあ、個人的な意見として言わせてもらえば、「生」なんていうものはただ単に現世に「個」として出現するだけのことであり、本来ならば、受精の段階が重要であると考えられる。これは、古代中国においては未知のことであり、受精というのは、「思考できる生命の誕生」ではないのだから、本書でも重要に扱われるわけがない。しかし、『ドグラ・マグラ』においては「胎児」が重要であった。
さて、私の思想、思考は常人とはかなり違うということはわかっているので、もしかしたら本著のような考え方が大衆に受け入れられているのかもしれない。しかし、バーガーも随分と変わった人間なんで、おかしな気分を味わえることは保証します。
(夢野狂作)
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「ビックバンの風に吹かれて」
重田昇 沖積舎
初出と著作を読むと寡作な作家である。タイトルに引かれて図書館で借りてきた。もちろん科学書ではないのであしからず。
見つけた私としては、掘り出し物だったと言わざるを得まい。非常に興味深く、かつ面白い作品ばかりだった。
収録作品の『岬の貌』『ビックバンの風に吹かれて』に出てくる「X氏」、読者をまるでこの人の行動の観察者に仕立て上げ、この「X氏」の異常な行動を、「論理的に正しいことをしているだろ?」というように同意を求めてくるような感じで引き込まれていく。
百日間ふり続く雨、日常の繰り返し、そんななかでこの「X氏」の狂気、ビックバンの風を感じてしまった彼は創造主=神になった。
雨が百日間ふり続いたら?
もの静かな文体の中に、言いようのない説得力がある。1974年と1975年に発表された『夏薔薇』と『投射器』、その他の作品は1987年以降に発表されている。明らかに違うものがある。
前者は、普通に、日常のドラマのなかで「死」を語ろうとしているのに対し、後者では、日常を描きながらも、それは既に普通の日常を語ろうとはしていない。既に「純文学」から逸脱し、安部公房のような狂気を描いている。
最近この手のジャンルに興味がある。SFという訳ではないけれどもSF的であり、純文学では決してない作品のことである。SFセミナーで「スリップストリーム」というスターリングの定義(詳しくはセミナーのレポート見てね)があるということだったが、この作品も似たようなもんだ。ただし、この手のもんを見つけるのはなかなか難しい。なんかいいものあったら教えてくらはい。
(松野)
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「必殺の冥路」
ウォルタージョン・ウィリアムズ 酒井昭伸 訳
この邦訳はどうにかならん、もんだろうかこんなタイトルは、Bクラスのアクションビデオのもんだよ。全く。原題は、VOICE OF WHIRLWIND(つむじ風の声)、うっさらにわけわからん。ははははは・・・・
小説は中身さっ、タイトルは二の次さっ。というわけでこの話は、前作『ハードワイヤード』の設定の百年ほど後の話だそうです。私は、『ハードワイヤード』を読んでおりませんので、何とも言えません。
話の方は、まず、クローン保険という物が成立しています。この、クローン保険自体は別に目新しい物ではないし、現実に、フセイン大統領だって、どっかの研究機関に、自分のクローンを作れないものかと打診したことがあるそうです。しかし現在の技術では、記憶の保存と、コピーをすることはできないから、クローンが同一人物にはなるはずがないですね。話はそれますが、SFマガジン五月号に、『版権切れ』(チャールズ・シェフィールド/嶋田洋一訳)という短編が載っていますが、これもクローンを題材にしていて、高名な科学者たちを再生して、開発、研究をさせようという話ですが、一筋縄ではいかない様子を、コメディ風に描いています。話を戻して、必殺の冥路では、まず、主人公のスチュワールが再生し記憶を戻されるところから始まります。しかし、その記憶が、死ぬ二十年前のものだったところから、自分はなぜ死んだのか?自分の記憶を求めての旅が、戦いが始まります。(どっかで聞いたような台詞だな)後は読んでください。
設定で面白いのは、生前の肉体をアルファ、クローンをベータとして区別をつけています。つまり、クローン再生された肉体は、本人と同じもので、記憶も、普通の場合は、死ぬ直前のものですから、アルファ、ベータと区別する必要はないはずです。
しかし、本文のなかで、『「おれ(ベータ)は彼(アルファ)じゃない」とスチュワールは言った。だが、それは本当だろうか。』というくだりがある。つまり、作者は、再生された人間は、いかにそっくり(同じ肉体、同じ記憶)があろうとも、死ぬ前と同じにはなれないと考察しているのではないでしょうか。それと、脳天使というエイリアンの設定にも興味深いものがあります。
結構強引に、話は進みますが、サイバー・アクションものとして割り切って読めば、適当に楽しめる作品です。
(松野)
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