ア行

「赤い楯」
「朝のガスパール」
「アルーア」
猶予の月
「一角獣を探せ!」
「遺伝子操作」
宇宙船ガリレオ号
宇宙への序曲
インデックス
「朝のガスパール」
筒井康隆 朝日新聞社

 やあ、朝の連載でなんか絶対に読めないし、実際にできなかった。本がでるのを待ち望んでいたというか、本がでないとどんな話かわからなかった。小説として読めば大して面白味のないものかもしれないが、この小説の意義は全く別のところ、つまり読者が、参加できる(できていた)という、プロセスが大切であったのだ。つまり、今となって、この小説を読んでも面白味にかけてしまうのである。
 とはいうものの、何が起こっていたかは克明に、日を追って(日付が入っている)、知ることができるようになっているし、どんな感じであったかはわかる。
 結局、今読んでも、楽しそうだなあと、指をくわえて読むしかないし、羨ましいなあと思うだけで、読んでいてストレスがたまった。
 畜生!!!
(松野)

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宇宙船ガリレオ号
R・A・ハインライン 山田順子 訳 創元文庫SF

 基本的内容としては、三人のハイスクールを卒業したばかりの少年達と、その少年のおじ(天才的物理学者である)とが自作の宇宙船「ガリレオ号」でもって人類で初めて月に行くという物語である。だから話全体のストーリーとして難しいところはほとんどなく、僕のような科学オンチの人間が読んでもちゃんと理解できるような平易な文章で書き上げられている。また文章は平易であっても、細部に至るまで設定がされており、それによってストーリーがつまらないな、と思わせることも少なかったと思う。とはいえ、ロケット開発にかかった日数が非常に短く感じられた(実際そうだったのかもしれないが)始めのころの金銭的にシビアであった状況が後になるにつれて、薄れていった)など、設定の甘さも感じられた。

 そして、この物語は一番始めに書いた内容だけで実は終わっていない。月に到着してから地球に帰るまで過程が非常に悲劇的かつ喜劇的である。月に到着したガリレオ号は、月に秘密基地を持っていたナチスに攻撃を食らって破壊され帰還不可能になるところを結局はナチスのロケットでもって地球に帰ってきてしまったのである。しかもナチスが基地に使っていた場所は実は月の住人の住居であったりするところが何とも幼稚な感じがしていい(宇宙人がでてくるのはSFの基本!)まあこの物語自体がジュブナイル小説であるからして、この方が年齢層の低い人達にも、とっつきやすくていいのだろう。
(S 平田)

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宇宙への序曲
アーサー・C・クラーク 山高昭 訳 早川文庫SF

「もう、月へ行く話は二十年も前にやめています」
         (アーサー・C・クラーク)

 とまあ、これはアポロ計画前にかかれた「月へ行く話」なのである。実は我々の世代にとっては、かつて人類が月に足跡をしるしたことがあったといわれてもピンと来ないのだ。(老人たちには嘆かわしいことなのだろうが)。そのせいかもしれないが、「アメリカ イズ ナンバーワン」の旗印の下、狂気じみた強引さで押し進められたアポロ計画がいかに無理無謀な愚行であったか、これを読むと分かってしまうのである(逆説的ではあるが)。クラークによって示される軌道計画はアポロよりもエレガントだったりするのだ(詳しいところは谷甲州氏の解説を読んでいただきたい。といって逃げる)。あまりにまっとうな未来予測はまっとうであるが故に現実とはなれてしまうものなのかもしれない。(ここでいうまっとうというものは極めて技術的な可能性のみを元にしたということを示す)。
 この作品はプロジェクトを取材する歴史学者といういわば外からの視点で書かれている。まあ読者のたいする科学解説をするのにこの方が都合がいいということもあるが、そこには「我々に宇宙を目指させるのはなにものか」という疑問に答えようとする作者の姿が見えるような気がする。
 小説としての出来は、某K氏(何となく名を秘してしまう)の言葉を借りるならば、「やまなし、おちなし、いみなし」であって、はっきり言ってしまえば駄作の類になるのだろう。
 しかし、ひそかにクラークのベストは『太陽からの風』と『白鹿亭綺譚』だと思っている私にとっては結構面白く読めたのである。
(PSYCHE)

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猶予の月
神林長平 早川書房

 何が現実なのか、ときどき本気で考える。想像したことは、経験したことにならないのだろうか?頭の中で考える、行動する、シミュレートしていく。それは、頭の中に世界を作り、イメージし、その中の登場人物として、ロールプレイすることは、本当に経験とはいえないのだろうか。

 月(=カミス)の人々は、理論によって、地球(=リンボス)の世界を、動かしていく。まさに、シムアースである。そしてこの物語は、理論によって、宇宙を意のままにしようとする男(バール)の物語であり、禁断の愛を手に入れようとする女(イシス)の狂気(ルナティック)の物語でもある。また、創造主と被創造主の物語であり、実は作家と小説の物語でもある。
 神林長平は、「言葉で世界を表現する」(夢枕獏)ことを意識して実行している数少ない作家の一人である。(もちろん、すべてのアーティストはいろいろな手段で自分の世界を表現しようとする)。これを実行するときに、夢枕獏は『上弦の月を喰べる獅子』において、おいて、「螺旋」という「言葉」以外の「モノ」を用いた。それにこだわることが、夢枕獏のセンスである。一方、神林長平は、「感情」を世界を想像する手段として持ってきている。「感情」という曖昧模糊としたものを使うことには、さまざまな可能性を感じるが、その期待の一方で、不安でもある。自分がどこまで神林についていけるのか?試されているような気になる。「モノ」があれば、その「モノ」の持っている力を借りて、その作られた世界を理解できる。
 しかし、「感情」は、既に自分の中にある能力の一部であるから、自分の持つ力のみで、神林の世界を理解しなければならない。それはとても疲れる。面倒臭くなって逃げ出したくなる。自分の能力の限界を知ってしまって逃げ出してしまうかもしれない。
 「愛」と「理論」、この二つの絶対的な力を持ってしても神林の世界は完成されず、あまりにも曖昧な「感情」によってこそ本当の時間が流れ、世界が想像される。いつまでも神林の作品を読むためには、「感情」を研ぎ澄まし、そのレベルを上げていかなければいかないらしい。疲れるねぇ。
(Mtsn)

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「赤い楯」
広瀬隆 集英社

 僕の今年のベストと言える。まあ、僕の場合は小説の標本数が少ないので何とも言えないが、この本は社会派にはおすすめですね。まあ、全部を全部信じるのは大馬鹿であることだが、かなり疑って読み、その分を割り引いてもじゅうぶん面白い。
 内容も十分。近代・現代世界をしっかりと握るユダヤ財閥の王ロスチャイルド家の家系を網羅した、ロスチャイルド家からみるここ200年の世界史である。
 世界の金融王・鉄道王・石油王・新聞王・テレビ王・映画王・自動車王・船舶王・鉄鋼王・煙草王・麻薬王らの財界、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストラリア、スペイン、オランダ、ロシアの政治、王族、皇族に親戚関係を持つロスチャイルド家。
 いかにして彼らが世界の歴史を作ってきたか。
 中世フィレンツェのメディチ家に匹敵する唯一の一族ロスチャイルド家の戦略を事実のみに限って書いたのがこの本である。
 いささか強引な家系図の設定もあるが、確かに彼らが世界を動かしてきたのだと実感できる。どんなに日本が経済大国だと言っても、ここ数十年の成金でしかないことを改めて知り、ヨーロッパがいかに植民地政策によって死体の上に権力を得、ぜいたくを得て来たのかをまざまざと見せつけられた。
 確かに大衆が世界を動かす時代が来たのかもしれない。しかし、演出するのは彼ら、ロスチャイルド家の人間たちではないだろうか。
(天和)

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「アルーア」
リチャード・コールダー 朝倉久志 訳 トレヴィル出版

 待ちに待ったコールダーのデビューである。この本に収められた、四つの作品のうち『トクシーヌ』『モスキート』『リリム』は自動人形(オートマター)三部作として、いずれも一般的に言うアンドロイドが出てくる。ここで一般的にといったのは、コールダーが「無意識の中の意識」を小説の重要なファクターにしているからである。「アンドロ」には「男」の意味が含まれており、MEN=おとこ=人類、というエイクショント同様に、アンドロイド=人間もどき(解説より)の意味が、無意識のうちに含まれるのを避け、「ガイノイド」という造語(ガイ=雌)をあえて用いているからである。
 この「無意識の中の意識」を一番大きく取り上げている「リリム」では、科学者が未来を託して設計した「自動人形」に、人類の危機を避けるため無意識のうちに設計図にバグを作り込んでしまったというエピソードが盛り込まれている。
 もっともこんなややこしい話よりも、コールダーの魅力は何と言っても、そのガジェットのキマイラ性にある。男性側にたった、フェティシズムとテクノロジーのキマイラ的世界が、読者を包み込んでゆく。
 「トクシーヌ」「リリム」では少年のフェティシズムー人形への愛というか、性倒錯ーをテーマとし、「モスキート」は「男の理想の除せいそせう」を追及していくうちにその完全型である「人形」へのあこがれを強めていく男の話である。
 これらの作品を「性倒錯のSF風味」で終わらせていないところがコールダーのすごさだ。性倒錯と、ハイテクノロジーに禁制的な雰囲気を加え、パンク的な鋭さではなく、柔らかさ、悲哀を含ませながら美しいハーモニーを醸し出している。
 とりあえず、読むべし。この手の作家は好き嫌いがあるだろうから、とりあえず表題作の「アルーア」を読んでみて、好きと思えば全部読む。やなら読まなきゃいいという本である。
(Mtsn)

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「遺伝子操作」
アラン・エンゲル 堀内静子 訳 ハヤカワ文庫NV

 遺伝子操作、あまりにも直接的すぎる題名である。ところが、原題”VARIANT”を直訳すると、「変異体」となる。この差は大きい。「驚異的な能力を持つロシア人の少年がパリに現れた。彼はモスクワからパリまで歩き通し、致命的な遺伝病にかかっていた。この少年は一体なにものか?」当然、誰もが考えるようにこの少年は人為的に遺伝子を改変されているわけである。
 題名で興をそがれるものの、本書では科学的なところには問題はなく、それ以外のところにある。本来「遺伝子を操作することは危険である」というテーマを持っていたはずであるのに、いつのまにか「軍部は横暴である」というテーマになってしまったような感じがしてしまうのは、致命的だ。
 この点、ロビン・クックの『ミューテイション』は同じテーマを扱っているが、うまく書いていると言ってよい(多少不満はあるが)。
(K・小松)

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「一角獣を探せ!」
マイク・レズニック 佐藤ひろみ 訳 ハヤカワFT

 ハードボイルド・ファンタジィと帯にふってあったが、こういった物に限ってたいした物のはずがない。しかしその言葉があったからこの本を読むことになったのも事実である。
 大晦日の夜、借金に追われる私立探偵のもとに訪れ、この世界と通じる異世界のマンハッタンで、盗まれたユニコーンを探してくれと頼まれる。元々ファンタジィなんて女子供の読む物であり、男が云々する必要もあるまい。横山えいじの表紙絵その物の世界が繰り広げられるだけのこの話で、ファンタジィがどうのこうのということもまた、ファンタジィ・ファンに対する冒ばいという物であろう。だからこのことには触れない。
 ハードボイルドを便宜上「いやしき街を行く誇り高き騎士の物語り」と固定しておこう。ここではhardをタフと訳してもかまわない。編集者は私立探偵が主人公ということでハードボイルド・ファンタジィとしたのだろうが、おそらくそれだけであろう。主人公マロリーを見る限り、洒落た科白を吐き多少ひねてるという、悪しきステロタイプとしての私立探偵にすぎない。しかも作者はヴェルマ(『さらば愛しき女よ』)という名をちらつかせる事でハードボイルドに含蓄があるように見せかけているが、それすらがどうも鼻に掛かる。
 しかし、構造としてはこれはハードボイルドである。ファンタジィでは英雄である主人公には、何らかの形で後ろだてがある。それは一般には「善」であり、世界をとりまく意志や神、予言という形を取っている。しかしマロリーは何も持たない。それは法や国家イデオロギーがハードボイルドの主人公には何ももたらされないことと同様で、マロリーは極彩色の街を、確かに誇りを持って歩いている。
 しかしトータルな小説として言えば、質はあまり高くない。巻末の付録、話に出てくる小道具などは明らかにオタク的であり、解説を読むとそれもうなずける。しかしアクションをことさらに無視し軽く処理して、かなりハッピーな仕上がりになっており、その意味では評価できるであろう。
(港区南陽)

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