サークル RagadoonTavaan(ラガドーン・タバーン)の歴史

ラガドーン・タバーンの軌跡

ラガドーン・タバーンの歴史
注:文中登場人物は全て仮名です。

1987年
10月 レーニンの発案により、有志参加者を募って彼をGMとするD&Dセッションがスタート。
    当初のプレイヤーはスターリンとトロツキーの2名。やや遅れてジューコフが加わり、
    ラガドーン創成期における四巨頭が、ここに初めて結集することとなった。
    この後、D&Dを中心としたRPGやボードゲームが、断続的に行われることとなる。

1988年

 4月  『マグナマンド・コンパニオン』の『ラガドーン酒場』がプレイされる。
    この時期と前後して、トロツキーの尽力により、ジノビエフ、カーメネフ、ブハーリン、
    キーロフなど、多くの人材が加わり、サークルとしての形態を整え始める。
    また、この頃からレーニンが他サークルの仕事で多忙の日々を送るようになったため、
    トロツキーがグループ内で中心的な役割を果たすこととなったが、
    やがてスターリンが実質的なリーダーシップを確立するようになる。

1989年
 3月  新入生歓迎活動『地獄の細道』に乱入し、非公式に参加。
    この時、会の正式名称を『ラガドーン・タバーン』と定める。
 4月 フルシチョフ、ブレジネフ、マレンコフなど、多くの新入生が入会(会員総計13名)
    マルチゲームサークルとして『ラガドーン・タバーン』が正式に発足。
    スターリンが初代会長を襲名。次長にはジューコフが選出され、
    後にトロツキー、レーニンと共に「三役」と呼ばれることになる。
 6月 名大祭に、RPG倶楽部の会場を一部拝借することで参加。
    この時、スターリンは勧誘活動のための会誌の発行を発念。
    会誌名は当初、スターリンの希望により『UNICORN』となる予定であったが、
    ジューコフの反対により『ENCOUNTER』に決定。創刊号が会場にて配付される。
10月 ひるがの高原にて秋合宿を開催。
11月 秋祭に参加し、『ENCOUNTER』第2号を発行。
12月 この時期から会内でマルチプレイヤーゲームが盛んにプレイされるようになる。

1990年
 1月 文サ連に加盟申請するも、保留。
    第1回ディプロマシー・キャンペーンが開催される(〜3月)。
 3月 文サ連臨時総会により、準加盟を認められる。
    地獄の細道に公式に参加し、新入生に『ENCOUNTER』第3号が配付される
 4月 アンドロポフ、ブルガーニン、モロトフ、チュイコフ、シェレーピン、
    シェレストなど、多くの新入生が入会(会員総計25名)。
    会への参加が事実上不可能となっていたレーニンに代わりフルシチョフが幹部に昇格し、
    トロツキー、ジューコフと共に新三役を襲名。第二次スターリン政権が発足する。
    (数ケ月後にはトロツキーに代わり、マレンコフが入閣することとなる)
    また、文サ連総会に出席する会の代表者としてモロトフが任命される(文サ連委員)。
 5月  89&90年度の新入生の新歓コンパを二年分まとめて開催する。
 6月  名大祭に参加し、『ENCOUNTER』第4号を配付する。
    (名大祭直前に一般参加者を募って開催した『看板娘討論会』の内容も記載)
    このころ、第2回ディプロマシー・キャンペーンが開催される(〜10月)。
11月 秋祭に参加し、『ENCOUNTER』第5号を配付する。

1991年
 3月 文サ連臨時総会により、正式加盟が実現。
    地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第6号を新入生に配付。
    同時期に、スターリンの手で第二の会誌『UNICORN』が創刊される。
    (同誌は統一テーマによる構成となっており、創刊号のテーマは<卒業>であった)
    スターリン、レーニン、トロツキー他、創成期メンバー7名が学部を卒業。
 4月 チェルネンコ、ポドゴルヌイ、ソルジェニーツィン、ウスチノフなど入会者多数
    (会員総計47名)
    評議会制が導入され、スターリンを評議長、フルシチョフを会長とする新体制が発足。
    他の人事は以下の通り。
     総務会長:マレンコフ、幹事長:ブレジネフ、イデオロギー長官:ジューコフ、
     教導遊説師団長:ブルガーニン、文サ連委員:シェレーピン
    そして、これら党内規範を定めた『ラガドーン法典』がジューコフの手で編纂される。
    なお、当初は評議長が首座であったが、スターリンの出席率は低下の一途を辿ったため、
    ジューコフの補佐により、会長中心のサークル運営が確立(評議長職の形骸化)。
 6月 名大祭に参加し、『ENCOUNTER』第7号を配付。
 7月 第3代会長をブレジネフが襲名。空席となった幹事長にはチェルネンコが指名され、
    フルシチョフは新たに『主席評議員』という立場となる。
 9月 『UNICORN』第3号<テーマ:革命>が発行される。
11月 秋祭に参加し、『ENCOUNTER』第8号を配付する。
    また同時期に『UNICORN』第5号<テーマ:旅行>が発行される。

1992年
 4月 ゴルバチョフ、コスイギン、チーホノフ、スースロフ、ポノマリョフなど、
    多くの新入生が入会(会員総計56名)
    この後、評議会拡大政策により、モロトフとシェレストが評議員に加わる。
 6月 名大祭に、初のオリジナル企画ライブRPG『ラガドーン酒場』を出展。
    同時に『ENOUNCTER』第10号が配付される。
    (この号ではポドゴルヌイが『ENCOUNTER編集長』となり、以後独立役職となる)
    また同時期に、『UNICORN』第6号<テーマ:夢>が発行される。
    この後、アンドロポフが第4代会長を襲名。ブレジネフは評議員として政権に残留。
    空席となったイデオロギー長官にはチュイコフが就任。
    また同時期に、幹事長職がフルシチョフからモロトフに、
    文サ連委員職がシェレーピンからポノマリョフに引き継がれる。
 9月 『UNICORN』第7号<テーマ:無題>が発行される。
10月 第3回ディプロマシーキャンペーンが開催される(〜12月)
11月 秋祭に参加し、『ENCOUNTER』第11号を配付する。
    (この号よりチーホノフが編集長となる)

1993年
 1月 『UNICORN』第8号<テーマ:大学>が発行される。
    (この号より、スターリンに代わってブレジネフが編集長となる)
 3月 スターリンが大学院卒業&就職に伴い、正式に評議長を引退。以後、完全に空席となる。
    地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第12号を新入生に配付。
 4月 第5代会長をチェルネンコが襲名。
    初期会員の相次ぐ卒業により、ここで執行部人事が一新される。
     総務会長:シェレーピン、幹事長:コスイギン、イデオロギー長官:グロムイコ
     教導遊説師団長:チーホノフ、ENCOUNTER編集長:スースロフ
    なお、文サ連委員については、この時期以降しばらく空席となる。
    ちなみに、この年の主な新入会員としては、リガチョフ、ヤコブレフ、マリノフスキー、
    アリエフ、シェワルナゼ、ロコソフスキー(当時二年生)などが挙げられる。
 6月 ブルガーニンの指導により、名大祭にてスゴロク形式のライブRPGを出展
    同時に『ENOUNCTER』第13号を配付する。
    (この号より紙面が一新され歴史記述が無くなったため、以後の情報はやや曖昧である)
    また同時期に、『UNICORN』第9号<テーマ:社会>が発行される。
    この後、総務会長がシェレーピンからウスチノフに引き継がれる。
11月 秋祭に参加し、『ENCOUNTER』第14号を配付する。

1994年
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第15号を新入生に配付。
    また同時期に、『UNICORN』第10号<テーマ:アート>が発行される。
 4月 第6代会長をゴルバチョフが襲名。この時期の執行部の顔ぶれは以下の通り。
    (ただし、各自の就任の時期については諸説あり、断定出来ない)
     総務会長:アリエフ、幹事長:リガチョフ、イデオロギー長官:ロコソフスキー
     教導遊説師団長:チーホノフ、ENCOUNTER編集長:ヤコブレフ
    また、この年以降の新入生の募集要項は、明らかにRPG中心の内容となっており、
    マルチゲームサークルという肩書きは残しているものの、
    実質的にはTRPG中心のサークルへと移行しつつある時勢を反映していると言える。
    ちなみに、この年はコロチッチ、ボロトニコフ、スグネルなどの新入会員が加わった。
 6月 名大祭にてTRPGコンベンションを開催し、『ENOUNCTER』第16号を配付する。
    また同時期に、『UNICORN』第11号<テーマ:自然>が発行される。
12月 『ENCOUNTER』第17号を配付する。
    (この年以降、秋祭号が秋祭の日程と必ずしも一致しなくなる)

1995年
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第18号を新入生に配付。
 4月 ゴルバチョフ政権は会長職にそのまま留任(スターリン以来となる長期政権)
    その他の役職については、イデオロギー長官がマリノフスキーに、
    ENCOUNTER編集長がコロチッチに、総務会長がボロトニコフに、
    それぞれこの時期に引き継がれ、また文サ連委員としてシェワルナゼが指名された。
    ちなみに、この年の主な新入会員としては、ヤナーエフ、エリツィン、チュバイス、
    ネムツォフ、ガイダル、ルチンスキー、コズイレフ、などが挙げられる。
    なお、この年の新入生はシミュレーションゲーム研究室と兼任する者が多かったため、
    この時期を境に、両サークルの間には非常に密接な関係が築かれることとなる。
 6月 名大祭にて、『ENOUNCTER』第19号を配付する。
    またこの時期から、サークル内で“Magic:the Gathering”が徐々にブームとなる。
11月  『ENCOUNTER』第20号を配付する。

1996年
 1月  第7代会長をヤナーエフが襲名。
     しかし、ヤナーエフはこの時期を境に出席率が著しく低下。一時会長不在の状態が続く。
    また同時期に、総務会長にガイダルが、教導遊説師団長にスグネルが就任する。
 3月  『ENCOUNTER』第21号を発行する。
    (この年から、会員数が増大の一途を辿る事態を考慮し、細道参加が休止される)
 4月  最終的に脱会することとなったヤナーエフに代わり、第8代会長にエリツィンが就任。
    イデオロギー長官はしばらく空席となるが、後にチュバイスが就任する。
    また、新歓活動は控えていたが、それでもナザルバエフ、カリモフなど数名が入会する。
 6月 ソルジェニーツィンの発案により、名大祭にて『ラガドーン酒場』が4年ぶりに復活。
    新たな要素を数多く取り入れ、次年以降の『ラガドーン・クエスト』の礎を築く
    (名称変更の理由は、当日に酒類を扱う出店との混同という事態が生じたため)
    またこの時、『ENCOUNTER』第22号を発行する。
12月 『ENCOUNTER』第23号を配付する。
    エリツィンの指導により、スキー合宿が開催される(〜97年1月)。

1997年
 4月 エリツィンはそのまま会長職に留任し、カリモフが総務会長に、ネムツォフが幹事長に、
    ルチンスキーが教導遊説師団長に、コズイレフが文サ連委員に就任する。
    この年も新歓活動を控え目にしため、新入会員はシュシケビッチ、ドゥダエフ、
    クラフチュク、ムタリボフ、ランズベルギス、リュイテリの6名のみであった。
    (やや遅れてゴルブホフが加わるが、それでも文サ連加盟以降では史上最少である)
 6月  名大祭に参加し、『ラガドーン・クエスト』を開催。参加者が飛躍的に増加する。
    またこの時、『ENCOUNTER』第24号を発行する。
11月 ムタリボフが新編集長に就任して、『ENCOUNTER』第25号を発行する。
12月 エリツィンの指導により、スキー合宿が開催される(〜98年1月)。

1998年
 2月  第9代会長をシュシケビッチが襲名。同時に、この時期に執行部人事が一新される。
     総務会長:ランズベルギス(補佐にリュイテリ&ゴルブホフ) 幹事長:クラフチュク
     イデオロギー長官&教導遊説師団長&文サ連委員:ドゥダエフ
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第26号を新入生に配付。
 4月 3年ぶりの積極的新歓活動により、ルカシェンコ、クチマ、ブラザウスカス、メリ、
     エリチベイ、ヤンダルビエフ、マスハドフ、ウルマニス、マフカモフ、ナビエフなど、
     15名の新入会員を加え、遂に会員数が70名を超える。
 5月 『ENCOUNTER』第27号を発行する(翌月の名大祭にて配付)。
 6月 名大祭に参加し、『ラガドーン・クエスト』を開催。天候にも恵まれ、参加者多数。
    その後、『ENCOUNTER』第28号(98年度自己紹介号)を配付する。
10月 ドゥダエフにより、『週刊ラガドーン(仮)』が創刊される。
    また同時に、エリチベイがENCOUNTER編集長に、マスハドフが文サ連委員に就任する。
11月 『ENCOUNTER』第29号を発行する。
12月 エリツィンの指導により、スキー合宿が開催される(〜99年1月)
    以後、これは毎年の恒例行事となる

1999年
 2月  第10代会長をルカシェンコが襲名。同時に、ブルザウスカスが総務会長に、
    クチマが幹事長に、ヤンダルビエフがイデオロギー長官に就任。
    また、役職とは別にウルマニスが、利用部屋確保のための人員として任命される。
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第30号を新入生に配付。
    その終了後、教導遊説師団長をヤンダルビエフが兼任するようになる。
 4月 前年以上の新歓活動により、アカエフ、アダムクス、テルペトロシャン、ジリノフスキー、
    リューテル、ザカエフ、イスカンドロフ、ワグノリュスなど
    20名(二年生2名を含む)の新入会員が加わる。
    また公式 web page 作成要員として、マフカモフが任命される。
 5月 『ENCOUNTER』第31号(99年度自己紹介号)を配付する。
 6月 名大祭に参加し、『ラガドーン・クエスト』を開催。この年も参加者多数
    またこの時、『ENCOUNTER』第32号を発行する。
 7月 マフカモフに代わり、ナザルバエフが公式ページ作成を引き継ぐ。
    (後にナビエフが正式な担当に任命される)
 8月 GM強化を目的とした夏期合宿が開催される(責任者はメリ)。
12月 『ENCOUNTER』第33号を発行し、この時点で来年度の人事が発表される(以下の通り)。
     第11代会長:アカエフ 総務会長:アダムクス 幹事長:テルペトロシャン
     ENCOUNTER編集長:ジリノフスキー 教導遊説師団長:ヤンダルビエフ(留任)
     文サ連委員:ザカエフ web担当:イスカンダロフ 利用部屋確保係:ワグノリュス

2000年
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第34号を新入生に配付(する筈であったが、
    「内容が新入生向けではない」との理由から、事実上ほとんど新入生には配付されなかった)。
 4月 ニヤゾフ、ジュガーノフ、コチャリャン、ヤブリンスキー、ウォロニン、パクサス、バサエフ、
    ラフモノフの合計八名が新入会員として入会(1997年度に次ぐ二番目の少数)。
 5月 『ENCOUNTER』第35号(2000年度自己紹介号)を配付する。
 6月 名大祭に参加し、リューテルの発案による交易を中心としたライブRPG『順風万汎』を開催。
    またこの時、『ENCOUNTER』第36号を配付。
 7月 GM強化を目的とした夏期合宿が中津川にて開催される。
12月 『ENCOUNTER』第37号を発行し、この時点で来年度の人事が発表される(以下の通り)。
     第12代会長:ニヤゾフ 総務会長:ジュガーノフ 幹事長:コチャリャン 
     ENCOUNTER編集長:ヤブリンスキー 教導遊説師団長:ウォロニン
     文サ連委員:バサエフ web担当:ラフモノフ 利用部屋確保係:パクサス 

2001年
 3月 地獄の細道に参加し、『ENCOUNTER』第38号を新入生に配付。
 4月 プーチン、チェルケソフ、ラティシェフ、カザンツェフ、フレイベルガなど、
    合計九名(最終的には十名)が新入会員として入会。
 5月 『ENCOUNTER』第39号(2000年度自己紹介号)を配付する。
 6月 名大祭に参加し、リューテルの発案による交易を中心としたライブRPG『順風満帆』を開催。
    またこの時、『ENCOUNTER』第40号(通常版&R指定版)を配付。
 7月 GM強化を目的とした夏期合宿が中津川にて開催される。
12月『ENCOUNTER』第41号(「るるぶ」「ダブルクロス」「秋祭号」の三分冊)を発行。

2002年
 1月 来年度の人事が以下のように発表される(利用部屋確保はカザンツェフが担当)。
     第13代会長(兼文サ連委員):プーチン 総務会長:チェルケソフ 幹事長:ラティシェフ
     イデオロギー長官:カザンツェフ ENCOUNTER編集長兼教導遊説師団長:フレイベルガ
     web担当:ラフモノフ(留任)

レーニン、スターリン、ジューコフ、フルシチョフの4名に関しては
『ENCOUNTER』第7号にて用いられていたコードネームをそのまま使用し、
その他の人物については、執筆者(ドゥダエフ)が“無作為に”名付けました。
たとえどこかで聞いたことのある名前であったとしても、それは全て“偶然”です。
プライバシー保護のため、文中人物の個人情報に関しては、オンライン上で御答えすることは出来ません。





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