小夜更けて...
(好事家)「やはり、記憶を保存するには、心を持たせるには――まだ何かひらめきが足りない……」
鈍い歯車の軋む音とともに、ひとつの溜息がアトリエに落ちる。油にまみれた手を膝に置き、好事家は、まだ動かぬ人形の頬にそっと手を添えた。
その人形の名は“小夜”。無機物でかたどられた少女の姿を模したそれは、まだ瞳に光を灯していなかった。
彼は、ただ機械を作りたかったわけではない。孤独という名の檻に軋む心を、この小さな人形に預けたかったのだ。
人に笑顔を見せることすら億劫になった日々の中で、誰にも打ち明けられない想いを、そっと受け止めてくれる存在を――憩いを、欲していた。
玄関の鐘が鳴る。
いつも通り、特に返事もせずにいると、ふわりと珈琲豆の香りをまとった男が姿を現した。
カフェ《月影白百合亭》のオーナーだった。彼は古くからの知り合いであり、彼の苦闘を見守る数少ない理解者でもある。店を閉めた後に様子を伺いに来てくれたのだ。
(オーナー)「こりゃあ、また難儀してるようだね」
(好) 「オーナー……もう、何度試してもダメだ。応答はすれど、記憶の保存が出来ず、言葉に感情が乗らない。ただ事前に決まった回答のみしかできない。俺の技術では、あの子に“心”は……」
(オ)「でも、あの子が微笑む姿を想像して、ここまでやってきたんだろう? だったら、小夜さんの目に光が灯るその瞬間を僕は待とうじゃないか。話はいくらでも聞くのでね」
そう言って彼は、小夜の額に手を当てて、彼女の瞳をじっと見つめた。まるで、彼女にすでに魂が宿っているように。
(好) 「きっと上手い方法があるはずなんだ。メモリーの蓄積許容量を上げるためには……」
好事家の苦悩と、オーナーの心配はしばらく続くのだった。
──五年後
"憩い"の場であるカフェ《月影白百合亭》を後にした夜、好事家は静かな工房に戻る。
小夜も更けた頃、家の戸を開けると、灯りは柔らかに揺れ、時計の秒針の音だけが、空間の静寂を律している。
そして――そこに立っていた。
白磁のような肌、夜色の髪。静かに瞬きし、瞳を向ける少女。――自動人形《小夜》
(小夜)「お帰りなさいませ、ご主人様」
声は鈴を転がすように澄んでいた。
そして、その言葉には感情が含まれているように感じられた。まるで、音の高低、目線、呼吸の間――全てを演算し、「この場に適した挨拶とは何か」を選び取ったかのように。
(好) 「ただいま、小夜。よく帰ってきたのがわかったね」
(小)「はい。扉の方からお声が聞こえましたのと、外出先からのご帰宅予想時間より、 確率的にそれが貴方であると判断しました」
(好) 「そうか。それにしても、表情が……ずいぶん自然になったね」
(小)「はい。『人間の表情』とは、“顔面筋肉の動き”のみから分析できるものではなく、“文脈と心的状態”を推定し、それに応じて変化していると認識しています」
(小)「表情筋から推定するに、少々疲れていらっしゃいませんか? 現在は情報の蓄積が足らず、この場合の対応が決断できません。なにか行動命令はありますか? 私は、貴方の憩いとなるよう設計されています。それが、私の存在理由であり、機能でもありますから」
小夜は静かに言う。だがその声は、命じられた通りに語る機械ではなく、理解したいと願う“心”を持った少女のようだった。
好事家は小夜の頬に手を添えた。その肌は冷たいはずなのに、不思議と、温もりのようなものを感じた。
(好) 「ありがとう、小夜。……君がいてくれて、私は少し、救われるよ」
小夜は瞼を伏せ、ほんの僅かに微笑んだ。
それは学習アルゴリズムによって獲得された“表情”だ。だが同時に、それは、感情を理解し、寄り添いたいと願う“意志”の現れのように感じられた。
――この日、自動人形《小夜》は完成した。
好事家は確信する。その存在は、ただの精密機械ではなくなった。感情を模倣し、寄り添い、"憩い"となる“だれかのための”人形だった。
(好) 「小夜、私のわがままなんだが、君をみんなに見せたいんだ。一緒に舞台に立ってくれるかい? 君という存在をみんなに知ってほしいんだ」
(小)「はい、主人様。あなたの願いを叶えられるよう努力します」
お披露目の日は近い。すべては“その日”のために。
半年後、帝都の表通りにて、ある男が新聞を握っていた。
(資本家)「ふむ、自動人形、ね……まるでお伽噺のような記事だ」
帝都資本連合の重鎮である資本家は、分厚い葉巻を咥えながら記事を眺めていた。
そこには、《間もなく発表――自律機構搭載型人形“小夜”の公開記念会および小夜の性能・一部機構について》という見出しと共に、機械仕掛けの少女の写真が掲載されている。
(資)「ただのからくり人形ならいざ知らず、“心を持つ”とは随分と夢見がちだな。だが……面白い。もし本物なら、我が社の新たな柱どころか、私にひとつ人生の”憩い”を与えてくれるかもしれんな」
感嘆と懐疑が入り混じった視線のまま、資本家は新聞を折った。
(資)「機械に心をか……。この目で確かめてやろう。夢想か、革命か――それまでに、わが社でも"心ある人形"について研究をしておくとしよう」
「まぁ、なんて愛らしい……!」
新聞の片面を覗き込んだ声に、周囲の客がちらりと視線を向ける。カフェ月影白百合亭で働く女給は、客の忘れていった新聞を片手に、小さく息を呑んでいた。
見出しの下に印刷された一枚の写真。そこに写るのは、まるで人間と見紛うような精緻な少女の姿――機械人形、小夜だった。
「こんなに可愛らしい子が、ホテルでお披露目されるのね……っ。あたしも、見に行けたら……!」
すべては、“その日”のために。
夜会服を纏った紳士淑女が集う、帝都銘代ホテル。そこにて、満を持して披露される一体の自動人形。
その名は小夜。
人の心に寄り添うことを夢見て造られた、世界でただ一つの機械仕掛けの少女。
この物語は、彼女が微笑みを浮かべるその瞬間から始まる。
この物語の終わりは...探偵のあなたの選択次第だ。