相剋と相生 師範 魚 住 文 衞
尾州竹林流の弓道教義に、相剋とか相生という語が使われている。そもそも尾州竹林の流祖は、石堂竹林坊如成という僧であるからその弓道教義(初勘の巻、歌知射の巻、中央の巻、父母の巻の四巻の書を内伝とし、潅頂の巻を奥伝としている。)においては仏教用語などを引用したところが沢山あって、我々現代人には難解なところが多い。
相剋・相生という言葉は、志那の理学に基づくものであって、木、火、土、金、水の五行の運行によって世界が成立すると説かれている。即ち、相剋とは、木は土に克ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克つということで、現代式に要約すれば「お互いに争う(不調和)」と解してもよいであろう。また、相生とは、木から火を生じ、火から土を生じ、土から金を生じ、金から水を生じ、水から木を生ずるということで、要約すれば「いろいろ異なったものが相調和することによって一つの事象を生み出す。」と解して差支えないと思う。
弓術においては、弓、身、意(心)、の三者合一(相生)が最高のものであることは周知の通りであるが、これを具さに分析すると、無数の異なる要素を調和させなければならず、その調和は永年に亘る修練が必要であって、一朝一夕に出来るものではなく、また弓術から弓道に展開して「相生」を考えれば更に多くの要素が加わることは勿論である。
試みに、弓、身、意、の相剋相生について一考してみると
(弓具について)
1.弱い弓には、細い弦と、軽い矢と、柔帽子の弽 (相生)
2.強い弓には、太くて重い弦と、重くて強い矢と、堅帽子の弽 (相生)
3.射技の進歩向上に伴って、弓の強さを加減すること (相生)
(身体が頑強であっても射技が幼稚なうちに強い弓を使えば必ず病癖が生ずる。(相剋)また、いつまでも弱い弓ばかり使っていては、射技の向上は期し難い。(相剋))
4.弓具について、更に細かく分析すれば沢山あるが省略する。
(射術・・身体の運行・・・について)
1.足踏は、的と左足爪先と右足爪先を一直線に揃えること (相生)
2.胴造りは、三つの重心(足踏、腰、両肩)が肝要 (相生)
3.五重十文字の完成 (相生)
4.打起しから引分けについての運行は、父(左手)と母(右手)の力と速度のバランスと身体に対し平行且つ水平及び精神の調和が必要 (相生)
5.射の運行と息合の調和 (相生)
6.会は、弓と体とが一体となり、特に気力と精神と的(ねらい)が調和すること (相生)
◎ ◎
7.射術と射礼が調和すること (相生)
8.常に自己の健康に注意して、最良の体調で射に臨むこと (相生)
(精神状態について)
1.常に精神を正常に保つことは至難なことであるが、不断の努力と修練によって不屈の精神力を養うように心掛けたいものである。弓射に臨んでは、喜、怒、憂、思、悲、恐、驚、の七情を除き、精神を一射に集中することが肝要であるがそれには、一旦大事の場に臨めば一喜一憂せず、確固たる自信(自惚れではない)を持つことが肝要である。
以上は個人個人の弓射について相剋を排し相生の大切なことを述べたが、弓道の本旨は射の技巧ばかりでなく人格形成にある。従って、大学のクラブ活動としては、常にチームワークを重視しなければならない。時間励行や総てのルールを守って秩序ある行動をすることは勿論、射の運行に当たっては、自己だけでなくチーム全体の間合いを考えて、全体の美を発揮することに努め、また、お互いに道場の環境や弓具の整理整頓に心掛け、相互助け合って精進し、人間関係の相生を期することや、弓道を通じて、ものの道理(真理)を探求することが真の弓道であると信ずる次第である。