TOP巻頭言集 第47号 悟弓巻頭言

第47号 悟弓巻頭言

弓の情      師範 魚 住 一 郎

 尾州竹林流初勘之巻に「始中終法度の事」という段があり、「初心より七道の骨法正直の筋骨に到る目中遠近の曲尺、中り、抜け、花形と最後極奥までを教導するのを法度を立てる事を云う。」とし、「(一)中り、意趣は七道に之有るなり。(二)矢走、心は剛を専らにす。(三)射通、心は鉄の位なり。(四)遠矢、曲也、繰身反橋と云ふ儀口伝之多し。(五)花形(射形)、直に美しく射る事なり。」と記されています。

 その説明の中で、「弓の情と云ふは中りなり、中らざるは鉄壁を十重通しても用に立たず、遠く射やりても物に入らざるなり、弓の本地(本源)と云うは中りて矢早きを本とす。当世は遊興(的中のみを目的とし骨法の正道を顧みないこと)までを稽古して元真実の儀は薄し。」、「弓の本地は中りて矢早きを当流の掟とするが、さらに当流は剛を専らとする流風なれば、矢弱ければ中るもその効なしと知るべし。」また、「先ず世間に的を射れば手前花形に叶わず、手前の花形を射んとすれば的に中らずと見えたり。」とも説かれています。

即ち「的に中っても射形が悪かったり、射形がよくても中らないことが多い。射はただ中るだけでなく、正しい骨法の正道に従い射形も美しく、さらに飛・中・貫を兼ね備えたものでなければならない」ことを説いています。

 最近では、近的が中心で、「中り」とか「美しい射形」については関心が深く、稽古も熱心ですが、使用する弓も弱く、「矢走」や「射通」については関心が薄い傾向が見られます。遠的をする機会も少なく、射貫きにいたってはごく限られた人しか経験できませんので、「飛」とか「貫」といった弓の醍醐味を実感する機会が少ないことは非常に残念に思います。

 射形がよく中ったとしても、丹田から発する心気の働きがなければ、離れも弱く矢勢も得られません。たとえ近的であっても、射形もよく、よく中り、矢勢もある射を心掛けたいものです。


 「常に骨法の正道をまもり、中りを残すことなく、心は剛を専らとした稽古を重ねる」ことによって、「飛・中・貫」を兼ね備えた素晴らしい射となることを銘記したいものです。


TOP巻頭言集 第47号 悟弓巻頭言