第31号 悟弓巻頭言

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 武道としての弓道について      師範 魚 住 文 衞



 尾州竹林流の星野勘左衛門茂則が、寛文二年四月二十八日京都の蓮華王院(三十三間堂)に於て、六六六三本を射通して天下一となり、更に七年後の寛文九年五月二日に一〇五四二本を発射して八〇〇〇本を射通して再び天下一の名誉を得たという史実は余りにも有名であるが、星野勘左衛門は弓に於て天下一であったばかりでなく、其の人物も亦古今に秀でた人であったと云われている。

星野勘左衛門が八〇〇〇本射通した時の記事が、徳川蓬左文庫所蔵の「星野勘左衛門指矢(さしや)の書」に次のように記されている。

弓の長さ  六尺八寸(普通の弓よりも十五cm短い)

弓の分   六分七〜八厘(握り上部の弓の厚さ)弓の強さ    四貫三百匁(約十六㎏)の重りを弦にかけ一尺九寸開く。(二尺八寸の矢束で推定二五〜二八㎏の強さとなる)

弓の巾     握りの上部が八分二〜三厘

把の高さ    五寸五分

矢束      二尺八寸七分

矢の重さ    朝のうちは四匁二〜三分、次第に軽くして夕刻には三匁七〜八分

箆廻り      九分七〜八厘。夕刻には少し細くする。

          三匁二〜三分。中関には三味線の糸を二重に巻き付ける。

          押手弽は白革、勝手弽の帽子は秘伝があり、爰には記さず。

上記のように記されているが、推定二五〜二八㎏の強弓を一昼夜に一万本も射ることは並々ならぬ鍛練を必要とするであろう。

天下に名を為すには凡人の量り知れない厳しい鍛練と不屈の精神力によるに違いない。

現代弓道界に於ては二五㎏以上の弓を引きこなす人は稀であり、一般的に弱弓を使って、小手先の技で的中を求めている者が多い感がある。無理な強弓は慎まねばならないが、鍛練によって、せめても自己体重の三分の一程度の強さの弓を射ることは至難の技ではないと思う。

強弓を射こなすには正しい射法によらなければならないことは勿論であるが、精神統一と、適切な息合いと、丹田より発する気力と全身の筋力との調和が必要である。

戦後の日本弓道はスポーツとして発展し、戦前を凌ぐ隆盛を来しているが、的中至上主義の傾向があることは否定できないと思う。

古来弓射は飛、中、貫の三ツの条件が要求されている。即ち、飛は矢勢を強く矢を遠くへ飛ばし、中は確実に中り、貫は鉄石をも貫く程の貫徹力を云う。中りは的から外れた狙い(矢乗り)でも、練習を続ければ的に中てることができるが、それでは飛と貫の条件は到底充たすことはできない。

飛、中、貫の三条件を充たすには、前述のように或程度の強い弓、正しい射法、精神統一、息合、丹田より発する気力と筋力の調和が絶対条件であることを重ねて強調したい。

私はスポーツ的な弓道を否定するものではないが、上達するに伴い飛、中、貫の三条件を充たす弓道へ志向すべきであると思う。

日本弓道は今や武道として再生する時機である。平成元年三月文部省の学習指導要領の改訂により、中学校、高等学校では、柔道・剣道・弓道・相撲・なぎなた等が「格技」の呼称から「武道」の呼称に変わり、一般社会人弓道に於てもスポーツ弓道から武道としての弓道へと進展しつつある。

スポーツと武道の内容については共通する部分もあるが、欧米で発祥したスポーツの多くは元来興味的であるのに比し、武道は伝統的に精神面が重視され、礼を基調とする人間形成を目指す修養道であると確信する。

名大弓道部諸君及びOB諸兄姉の一層のご精進を祈念致します。


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