第29号 悟弓巻頭言

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 紀昌貫蝨の伝説について思う      師範 魚 住 文 衞



 尾州竹林流の伝書(四巻の書)のうちの第一巻「初勘の巻」のうちの「弓脉の事」の箇条の中で、紀昌という支那古代の弓の名人が蝨の心臓を射貫いたという伝説を引用して説明してある箇所がある。

 この紀昌貫蝨の伝説というのは、支那(中国)戦国時代の哲学者列禦寇という人の学説を記述した「列子」という書物の湯問篇に記されている伝説であるが、その大要は次の通りである。

支那の昔(韓の時代)飛衛という弓の名人があったが、その飛衛は射を甘蠅に学んだ。飛衛の弟子に紀昌という者が居た。飛衛は紀昌に射を教えるにあたり、先ず瞬きをしない練習をせよ、それができるようになったら私に報告せよ、と云った。そこで紀昌は家に帰って妻の機(はた)を織る下に横臥して牽挺が目の前に来ても瞬をしない練習をして、二年後には錐(きり)の先が眥(まなじり)へ倒れてきても瞬をしないようになったので、そのことを飛衛に告げた。

そこで飛衛曰く、それだけでは未だダメである。これからは小さい物が大きく見えるような修行をせよと云った。そこで紀昌は家に帰り、

(り)(から牛の尾の毛)の先に蝨(しらみ)を結び付け、それを?(まど)に垂れ下げて見つめ、1ヶ月程で少し大きく見えるようになり、三年後には車輪のように大きく見えるようになり、何を見ても丘山のように大きく見えるようになった。そして燕角の弓と朔蓬の矢を以て蝨の心(中心)を射貫くことができた。という伝説である。

この伝説を読んで、そんな馬鹿な話が信ぜられるかと一笑に付する人が多かろうと思うが、私は弓射における心法を説いたものであると思う。一言で云えば精神統一ということであろう。

この伝説と同じような教義に「一分三界」ということがある。即ち一分(〇・三センチ)程の小さい的を三界(三千世界)のように大きく見開き、また三界のような大きな的でも、その中心の錐もみの中心に目付け(狙いを定める)をせよという教義である。

また、古来の弓道用語に「あたり拳(こぶし)」ということがあるが、これは、狙いの方法の極意として、的を手元に引き寄せて射よ、ということであるが十五間(二十八メートル)先の的を弓手の拳の上に移し取って射ることであり、的が大きく見えるのである。

これらのことは長年熱心に修行した弓人ならば、このような中り拳の経験があると思うが、私は、この際強調したいことは弓の稽古の時ばかりではなく、どんなことを行うにも全身全霊を集中して最後までやりとげる習慣を身につけることが大切であると思う。

名大弓道部員諸兄姉の一層の奮起を期待してやみません。

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