私の目標 師範 魚 住 文 衞
全日本弓道連盟発行の弓道教本第一巻の冒頭に「礼記」の射技篇の抜瘁と、紀州竹林流の始祖である吉見順正の「射法訓」が掲載されており、また、全国の公設私設の弓道場の多くにそれを大書したものが掲示されて弓道修学者の規範となっている。
「礼記」は支那の周、春秋戦国、漢時代(今から凡そ二〇〇〇年前)の識学者の古礼に関する学説等を四九編に輯録され、その第46篇が射義となっている。
吉見順正の「射法訓」が現代弓道人の規範としても通用することは誰でも理解できるが、今から二〇〇〇年も前の支那の学者の遺訓が現代に通用するのか?と思う人もあろう。しかし、これを熟読玩味するとまことに立派な規範であることがわかるであろう。
参考のため次に転記することとする。
「射は進退周還必ず礼にあたり、内志正しく、外体直くして、然る後に弓矢を持ること審固にして、然る後に以って中ると言うべし。これ以って徳行を観るべし。」
「射は仁の道なり。射は正しきを己に求む、己正しくして而して後発す、発して中らざるときは、即ち己に勝つ者を恨みず、反ってこれを己に求むるのみ」
これを直訳的に考えると、射を行うには(1)心の安定 (2)身体の安定 (3)弓技の審固との三点を眼目とし、これを修練することによって仁義礼智信の徳業が体得され、矢を発して中らなければ他人を怨むようなことはなく、反ってこれを己に求めて反省せよ、と教示してあって、弓道は儒教を基礎とした道徳の修養道であると見做していることが明白である。
弓道の最終目標は、射場において礼を重んじ正しい射法に基づき正確な的中を得ることだけでなく、射場外の日常生活に於ても射場内の心構えが習慣的に浸透しなくてはならないと思う。
日常生活に心配事があったり、試合前の健康状態が悪かったり、睡眠不足のようでは満足な成績は挙げられないだろう。また礼についても同様であって、射場内だけの礼や体配であっては、本物とは云えないのである。